犯罪の低年齢下に歯止めが掛かっていない。
2013年8月、三重・朝日町で、女子中学生が殺害された事件で、18歳の少年が強盗殺人の疑いで逮捕された。
四日市市の中学3年の女子生徒を殺害し、現金6,000円を奪った強盗殺人などの疑いが持たれている。
当初、少年は事件への関与を否認していたそうだが、その後、「1人でやった、金目的でやった」と、容疑を認める供述に転じたという。
また、事件後、短文投稿サイト「ツイッター」に「手の震えが止まらない。平和の町だったのに」などと書き込んでいたとか。
この報道を見て、ある事件を思い出した。
東京・吉祥寺にて昨年の2月に少年2名が路上で帰宅途中の女性を殺害し財布入りのバッグを奪ったとして警視庁に逮捕され、先月に無期懲役の判決が出た。
確かこの2名も今回の事件の被疑者と同年代。
お金欲しさとはいえ、簡単に人を殺めてしまっていいものなのかと憤りを覚える。
今回の事件後、被疑者は普通に生活し、就職先も決めて高校を卒業したそうだが、心の内は如何なるものだったのだろうか。
それにしても昨今では「命」が簡単に奪われる。
「命」に相場はない、「命」をお金で計るようなものではない。
それなのにお金欲しさに犯行に及ぶとは随分と「命」も軽んじられたものだと思えてならない
。
被害者からすれば大切な家族・親族・友人・仲間を奪われてしまうからには被疑者にもそれ相応の量刑を求めるのも当然だと言える。
しかし、近年では死刑廃止論が高まっている。
私、一個人としては死刑についての賛否は正直言って決めかねる。
確かに死には死をもって償うことが「命の代価」に相応しい。
だが、その「命」を裁判と言う天秤にかける側の裁判官、検察、弁護人、警察も辛い。
被疑者とはいえ、法律で定められているとはいえ、結局は「命」を扱う。
そう考えると余計に「命」の尊さを我々は学ばなければいけないと痛感させられる。
我々はもっと「命」の重要性を認識しなければいけないのではないのだろうか。
最近では某大学生が交際していた女性に対し、SNSで死を強要し、結果相手が自殺するという残忍な事件も発生している上、いじめによる自殺などの被害が相次いでいる。
人が手を下さなくても簡単に「命」は奪えてしまうのだ。
親兄弟や親族、教師や上司部下、友人同士でも構わない、「命」とは何かを再認識するように心がけてもらいたいものだ。
悲しい報道はもう見たくない。
今日の一言
「今日は3月3日、ひなまつりという女性の節句。いい人になるんだぞと心から願う」
Tag: 裁判
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