「大勲位」と聞けばわかる人にはわかる。
91歳になった元首相の中曽根康弘氏のことである。
氏は平成15年に56年間の代議士生活の幕を下ろさなければいけなくなってしまったが、その後も現在まで多方面で活躍する現役の「政治家」である。
氏の政治手腕は「風見鶏」と言われるほどコロコロと変わっていくようなものと揶揄されることが多かったが、5年半という長期政権を運営出来たのはやはり氏の「政治」が国家・国民に通じたからであろう。
九十路になった今でも近場である韓国などには訪問するというのだからこれまた驚きである。
私の身近で氏をこのように評価した人がいた。
一人は「気さくで面白いが、話の中身には筋が通っていて、今でも現役という感じであった」という評価。
もう一人は「歳が歳。言っていることが同じ。まるでボケ老人だ」という評価である。
そんな氏はずっとある場所を拠点にて政治活動をしていた。
東京・平河町の「砂防会館」である。
ここはかつて元首相田中角栄氏が率いる田中派が拠点を置いた場所である。
戦後政治の中心的な舞台と言ってもいいだろう。
本部が出来る前にの自民党の拠点から始まり、「三木おろし」、「総総分離論」、「中曽根引退勧告」等々の舞台になった。
現在でも伊吹派、二階派という旧田中、旧中曽根の各派を継承した派閥が居を構えている。
かつての勢いは無くなったものの、今でも政治の舞台である。
しかし、長くここに居を構えていた氏が年内にもここを引き払い、拠点を氏が会長を務める「世界平和研究所」がある虎ノ門に移すとのことだ。
政権も自民党から民主党になり、本当の意味での「55年体制」が終わった今、氏は新たな一歩を踏み出すために英断をしたのだろうか。
アメリカのマッカーサー元帥ではないが、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」という心境になったのだろうか。
しかし、政権が変わったとはいえ、まだまだ頼りない。
氏が元気である以上はこの国の「重石」として頑張って活躍してもらいたいものである。
Tag: 砂防会館
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