ソチオリンピックが始まってまだ日が浅いが、日本勢の活躍が大いに期待されているが、蓋を開けてみればメダル獲得が思うように出来ないものの、銀銅メダル獲得者も出てきたし、上位入賞者が多いことは凄いことだと私は思っている。
オリンピックもそうだが、「大会」という限られた場所に選手であれ、補欠であれ、関係者であれ出場出来ることは簡単ではないし、並大抵の努力だけでは実現出来ない。
その限られた世界の中でどのような形でも参加出来ることは国民としてもそうだが、一個人としても「凄いな」という一言冥利に尽きる。
しかし、スポーツ誌を中心としたマスメディアはメダル獲得をメインに報道しているし、国民もメダル獲得を大いに期待している。
それはそれでいいことだが、メダル獲得が出来なかったときの批判が酷い。
選手だけでなく、関係者もしくは他国までに及ぶことが多く、場合によっては遺恨さえ発生してしまう。
それに、国から補助されている強化費に対してもメダルが取れなければ「税金の無駄遣い」や「税金泥棒」扱いをする人もいる。
フェアじゃないことをしたのであればそれなりの抗議・批判も必要だろうが、如何せん、メダルが取れなかったことによる抗議・批判はやり過ぎではと思う節が多々ある。
「ここで」とか「あの場面で」とか色々と言う人がいるが、その時々で選手や会場、天気のコンディションだって変わるのだから終わったことを蒸し返すようにしてはいけないと私は思っている。
「よくやった」とか「頑張った」、「お疲れ様」という言葉が普通に出てこないことが逆に驚きだ。
メダルが取れないだけで「謝れ」や「税金泥棒」、「観光旅行に来ているのか」などと言われては選手や関係者も面白くないし、今後のモチベーションに影響する。
逆に言う側が言われる側になった際の心境を聞いてみたいものだと思ってしまうくらいだ。
野球や競馬、ラグビーにマラソンなどもそうだが、自身の期待に反目した結果になってしまうと大抵の方々がそのような蒸し返しになる。
業界人や関係者など特定のスポーツに関わっている方々からすれば考え方はやはりメダルとか上位入賞を期待するのは十分理解をしているし、競馬や競艇、競輪などのスポーツはギャンブルなので一攫千金を求め、応援している馬や選手もいるので一概に否定は出来ない。
とはいえ、時過剰なまでの批判の嵐はあまりに酷いし、人格や考え方を疑ってしまう。
見方考え方は等々あるから深くまでは問わないし、強要もしないが、もう少し批判を減らすことはしてもらいたいものだ。
今日の一言
「オリンピック選手の方々へ。無事に帰ってきて下さい!それだけが心配」
Tag: スポーツ
最新記事
月別アーカイブ
記事検索
アクセスカウンター
- 今日:
- 昨日:
- 累計:
QRコード