今年もすでに11月になってしまった。
残り2ヶ月、長いようで短い。
すでに秋から冬へ季節が変わろうとしている。
先日までは夏で、半袖を着ている人が多かったのに、今ではもう冬支度で、友人などもベンチコートなどを着ていた。
今年は例年に比べて寒くなる時期が早いかもね。
だって今年の木枯らし1号は先日観測されたようですから・・・・・。
しかし、寒くたってそれなりの服装をすれば人は元気なものですよ。
「元気があれば何でも出来る」ってよくプロレスラーのアントニオ猪木さんが言っているけど、本当に元気があれば何でも出来ますね。
まぁ、何でも出来るって言っても出来ないこともあるんだけどさ。
私なんか出来ないことが一杯ありますよ。
特に指摘されるのは服装や恋愛について。
毎回のように友人や家族から一言物申されています。
物申してくれるのはありがたいですね!
まぁ、いつも二の足を踏んでいるんだけど・・・・・。
少しは変革をしようと考えてはいるんだけど、これが難しい。
理想と現実を考えると怖いね。
だから何も出来ない・・・・・。
またこんなことを言うとお説教されますね。
一応、頭の片隅では考えているって事だけは知ってもらいたいです。
それにしてもさ、こういう話が出てくるのは必ずといって季節の移り変わりの節目。
季節が深まる頃にはイベントがいっぱいあるからなんでしょうか。
まぁ、今年もそんなこととは無縁ですね。
これもきっと言ったらお説教の対象だな・・・・・。
無縁にしないように努力しろなんて言われるな・・・・・。
わかるけど、まだ私にだってすることがあるんで・・・・・。
とりあえず、あと2ヶ月を充実に過ごせればいいです。
それ以上の欲は出しませんよ。
欲の出しすぎはあまりよろしくないですからね。
今日の空は曇ってたけど、味があってよかった。
おまけ
久々に「エッセイ」として書いたけど、なんか微妙だね(*゚▽゚*)
コラムとかも書いてないな・・・・・。
まぁ、どれも本職じゃなくて自己満足的なものだからいいけどさ・・・・・。
あと、日記もちゃんと更新していくからよろしくね!
Category: ?エッセイ?「空を見上げて」
枯れ落ちる葉を見ながら・・・・・。
ちょっとした長雨がたまによかったりする。
夜中にお酒でも飲みながら雨脚の強くなる音を聞くと気分が良いものだ。
まぁ、お酒が得意でない私としてはそれに代わる飲み物で代用するわけなのだが。
先日、ちょっとした悪夢を見て気分を悪くしたので気分転換と休み中に太ってしまった身体を引き締めるためにサイクリングに出かけた。
山道を走るとまだ森林は青々としているものの、徐々に葉の色は変わりつつあった。
昼間はまだ夏の名残か暖かいというか少し暑い気もするのだが、日が落ちていくにつれて寒くなっていく。
秋というよりも冬を感じる。
夕方になれば周囲はもう真っ暗である。
空を見上げると三日月と星々が輝いているのがまた良かったりする。
それから少し経ち、長雨が降った。
晴れやかになった外を少し歩くと道には枯れていた葉が落ちていた。
まだ微量の葉だが、もう少しすれば大量に落ちる。
風に舞いながら落ちていく枯れ葉は美しいが、落ちきってしまえば自然に土に返るかごみとして捨てられる。
環境というか、生物には自然のサイクルというものがあり、我々人間だってそのサイクルに含まれている。
生まれた時は輝いているが、やがて色あせ、朽ちていく。
森山直太朗の「生きてることが辛いなら」という歌にこんな歌詞がある。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A03203(全歌詞を知りたい人はこちらを)
「生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ」
これは最後の歌詞なのだが、「くたばる喜び」というものはどういうものなのかと考えてみた。
「くたばる」とは言い換えれば「死ぬ」ということだ。
「死ぬ」ことの喜びを取っておくというのも可笑しな話だが、落ちていく枯れ葉を見ていたらなんとなくわかったことがある。
自然に何事も終えるのが一番ということだ。
自ら終止符を打つというような行為より、自然に終える方が楽である。
その「楽」が「喜び」に直結するのだろう。
あくまでも私の考え方なのでこの歌の作者である森山直太朗と一致するわけではないが。
運命というものは必ず全てがいいとは限らない。
だが、自然に受け止めた方が気が楽になるように私は思える。
無論悩み考えることも大切なのだが。
秋空を見ながらそんなことを思った。
夜中にお酒でも飲みながら雨脚の強くなる音を聞くと気分が良いものだ。
まぁ、お酒が得意でない私としてはそれに代わる飲み物で代用するわけなのだが。
先日、ちょっとした悪夢を見て気分を悪くしたので気分転換と休み中に太ってしまった身体を引き締めるためにサイクリングに出かけた。
山道を走るとまだ森林は青々としているものの、徐々に葉の色は変わりつつあった。
昼間はまだ夏の名残か暖かいというか少し暑い気もするのだが、日が落ちていくにつれて寒くなっていく。
秋というよりも冬を感じる。
夕方になれば周囲はもう真っ暗である。
空を見上げると三日月と星々が輝いているのがまた良かったりする。
それから少し経ち、長雨が降った。
晴れやかになった外を少し歩くと道には枯れていた葉が落ちていた。
まだ微量の葉だが、もう少しすれば大量に落ちる。
風に舞いながら落ちていく枯れ葉は美しいが、落ちきってしまえば自然に土に返るかごみとして捨てられる。
環境というか、生物には自然のサイクルというものがあり、我々人間だってそのサイクルに含まれている。
生まれた時は輝いているが、やがて色あせ、朽ちていく。
森山直太朗の「生きてることが辛いなら」という歌にこんな歌詞がある。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A03203(全歌詞を知りたい人はこちらを)
「生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ」
これは最後の歌詞なのだが、「くたばる喜び」というものはどういうものなのかと考えてみた。
「くたばる」とは言い換えれば「死ぬ」ということだ。
「死ぬ」ことの喜びを取っておくというのも可笑しな話だが、落ちていく枯れ葉を見ていたらなんとなくわかったことがある。
自然に何事も終えるのが一番ということだ。
自ら終止符を打つというような行為より、自然に終える方が楽である。
その「楽」が「喜び」に直結するのだろう。
あくまでも私の考え方なのでこの歌の作者である森山直太朗と一致するわけではないが。
運命というものは必ず全てがいいとは限らない。
だが、自然に受け止めた方が気が楽になるように私は思える。
無論悩み考えることも大切なのだが。
秋空を見ながらそんなことを思った。
22歳の留守番
久々に実家の留守番をすることになった。
「22にもなって留守番とは」なんて思う人もいるかもしれない。
でもこれが意外に楽しいもので、1人でのんびりと好きなことが出来るのが最大の魅力といってもいい。
まぁ、1人暮らしをしているのと変わらないと言われてしまえばそれまでなのだが、広い家とアパートの一室では空間の次元が違ってくる。
アパートだと借りているという点や一室という狭い閉鎖的空間という点で嫌になってしまうが、持ち家だと遠慮という点や閉鎖的空間という点は省かれる。
大画面のTVで好きな番組を見たり、広いキッチンで好きな料理をしたり、広い部屋で寝たり、広い風呂でのんびりしたりと持ち家ならではの楽しみが楽しめる。
「広い」という言葉を強調しているが、別に実家が広いというわけでなく、私が住んでいるアパートと比べているために「広い」という表現をしているのであしからず。
それともう一つは庭だろうか。
草木を眺めながら空を見るのはいいものです。
都会でも同じような光景は見ることが出来るが、田舎育ちの私としては地元の方がより魅力を感じる。
18年も住んでいればそれなりの愛着も湧いてくるだろう。
そういえば、留守番中にこんなことがあった。
朝食を作っていたら電話が鳴った。
出たら何処かの会社の女性社員で、「ご主人ですか?」という第一声には驚いてしまった。
「はい、そうです」とでも言ってもよかったのだが、以前このようなことをして長電話をするという面倒なことになったので「いいえ、子供です」と答えた。
するとあっさりと「また電話します」と言って切ってしまった。
大方、未公開株の販売的な電話だとは思うが、未だにこういった手口なんだと思うと笑わずにはいられなかった。
それにしてご主人=父に間違われるとは・・・・・。
見た目は完全に中高年世代にしか見えないから今更だが、声までそうとは・・・。
残念ながら私は独り者なんでね・・・・・。
今日の空は曇りのようで白い感じだ。
「22にもなって留守番とは」なんて思う人もいるかもしれない。
でもこれが意外に楽しいもので、1人でのんびりと好きなことが出来るのが最大の魅力といってもいい。
まぁ、1人暮らしをしているのと変わらないと言われてしまえばそれまでなのだが、広い家とアパートの一室では空間の次元が違ってくる。
アパートだと借りているという点や一室という狭い閉鎖的空間という点で嫌になってしまうが、持ち家だと遠慮という点や閉鎖的空間という点は省かれる。
大画面のTVで好きな番組を見たり、広いキッチンで好きな料理をしたり、広い部屋で寝たり、広い風呂でのんびりしたりと持ち家ならではの楽しみが楽しめる。
「広い」という言葉を強調しているが、別に実家が広いというわけでなく、私が住んでいるアパートと比べているために「広い」という表現をしているのであしからず。
それともう一つは庭だろうか。
草木を眺めながら空を見るのはいいものです。
都会でも同じような光景は見ることが出来るが、田舎育ちの私としては地元の方がより魅力を感じる。
18年も住んでいればそれなりの愛着も湧いてくるだろう。
そういえば、留守番中にこんなことがあった。
朝食を作っていたら電話が鳴った。
出たら何処かの会社の女性社員で、「ご主人ですか?」という第一声には驚いてしまった。
「はい、そうです」とでも言ってもよかったのだが、以前このようなことをして長電話をするという面倒なことになったので「いいえ、子供です」と答えた。
するとあっさりと「また電話します」と言って切ってしまった。
大方、未公開株の販売的な電話だとは思うが、未だにこういった手口なんだと思うと笑わずにはいられなかった。
それにしてご主人=父に間違われるとは・・・・・。
見た目は完全に中高年世代にしか見えないから今更だが、声までそうとは・・・。
残念ながら私は独り者なんでね・・・・・。
今日の空は曇りのようで白い感じだ。
嫉妬ではないけれど・・・・・。
以前にも書いたが、今月25日に私は22歳になった。
誕生日を迎えたのはいいが、祝ってくれた人はいなかった。
mixiを通じてメッセージをくれた人はいたが、それは私が日記で誕生日だと報告したからで、それ以外では3人がメッセージを、家族から電話をもらった。
まぁ、「誕生日ってこんなもんだよ」と先日近所のスーパーであった部活の後輩仲間と話したが、今までの一番自身の誕生日でひどいものだったと思う。
4年前から一人暮らしを始めた手前、祝うのは一人っきりで、去年まではケーキを買ったり外食に行ったりしたが、今年は就活や学業の忙しさの手前何もしなかった。
ある友たちからのメールに「この年の誕生日は二度と来ないんだから有意義な日にしろよ」なんて書いてあったが、有意義な日にすることは出来なかった。
その日1日は朝から不愉快なことなどがたくさんあって既に有意義にすらなっていなかった。
家族から電話をもらったと言ったが、実際のメインの話はビデオの録画で誕生日などはおまけでしかなかったように思えた。
年々自身に対して疎外感を感じることが増えた。
自分から自発的に誕生日と言ってお祝いの言葉をもらうなんて・・・・・。
そんなもんだと言っても、やはりどこか心の奥底に引っかかるものがある。
少し前に友達の誕生祝を我が家でした。
その時、私は料理を作り、プレゼントも就活の合間に買いに行った。
彼は喜んだかはわからないけど、祝ってもらえることがうらやましく思えた。
「私も祝ってくれるかな」と内心思ったが、実際に蓋を開ければ何もない。
私が何か言えば何かあったかもしれないけど、それでは無理矢理させてしまったようで申し訳ない気がしてならないから言わなかった。
そんな中、別の仲間の誕生日を祝おうなんていうメールが来た。
無論祝おうと思っているし、プレゼントも買うつもりだ。
ただ・・・・・・・・ただ心の奥底に内心祝ってもらいたかった自分がいる。
嫉妬ではないけれど、祝ってもらえる人がうらやましく思える。
自分には祝われる資格などないのだろうか・・・・・。
今年は自分で自分すら祝えなかった。
いずれ別の日に何かをしようとは思うけど、友達のあのメールが頭をよぎる。
もう22歳の誕生日は二度と来ない。
1年間でまた新しい年になってしまう。
そう思うと後悔しかない。
でも、現状が現状だけに致し方ない気もする。
これも全て自身が招いたこと、。
今年はそういう年と思って割り切るしかない。
メッセージをもらえただけでもよかったのだから。
今日の空は薄っすらと曇っている。
誕生日を迎えたのはいいが、祝ってくれた人はいなかった。
mixiを通じてメッセージをくれた人はいたが、それは私が日記で誕生日だと報告したからで、それ以外では3人がメッセージを、家族から電話をもらった。
まぁ、「誕生日ってこんなもんだよ」と先日近所のスーパーであった部活の後輩仲間と話したが、今までの一番自身の誕生日でひどいものだったと思う。
4年前から一人暮らしを始めた手前、祝うのは一人っきりで、去年まではケーキを買ったり外食に行ったりしたが、今年は就活や学業の忙しさの手前何もしなかった。
ある友たちからのメールに「この年の誕生日は二度と来ないんだから有意義な日にしろよ」なんて書いてあったが、有意義な日にすることは出来なかった。
その日1日は朝から不愉快なことなどがたくさんあって既に有意義にすらなっていなかった。
家族から電話をもらったと言ったが、実際のメインの話はビデオの録画で誕生日などはおまけでしかなかったように思えた。
年々自身に対して疎外感を感じることが増えた。
自分から自発的に誕生日と言ってお祝いの言葉をもらうなんて・・・・・。
そんなもんだと言っても、やはりどこか心の奥底に引っかかるものがある。
少し前に友達の誕生祝を我が家でした。
その時、私は料理を作り、プレゼントも就活の合間に買いに行った。
彼は喜んだかはわからないけど、祝ってもらえることがうらやましく思えた。
「私も祝ってくれるかな」と内心思ったが、実際に蓋を開ければ何もない。
私が何か言えば何かあったかもしれないけど、それでは無理矢理させてしまったようで申し訳ない気がしてならないから言わなかった。
そんな中、別の仲間の誕生日を祝おうなんていうメールが来た。
無論祝おうと思っているし、プレゼントも買うつもりだ。
ただ・・・・・・・・ただ心の奥底に内心祝ってもらいたかった自分がいる。
嫉妬ではないけれど、祝ってもらえる人がうらやましく思える。
自分には祝われる資格などないのだろうか・・・・・。
今年は自分で自分すら祝えなかった。
いずれ別の日に何かをしようとは思うけど、友達のあのメールが頭をよぎる。
もう22歳の誕生日は二度と来ない。
1年間でまた新しい年になってしまう。
そう思うと後悔しかない。
でも、現状が現状だけに致し方ない気もする。
これも全て自身が招いたこと、。
今年はそういう年と思って割り切るしかない。
メッセージをもらえただけでもよかったのだから。
今日の空は薄っすらと曇っている。
ぞろ目の心境
今月25日に22歳になった。
20を過ぎると老化が始まるなどというのをあまり気にしていなかったが、最近は本当に老化してるなって思うことが多くなった。
体を動かすにしても、食事にしても、物事を考えたり書くにしても老いを覚える。
まぁ、元々老けて見えるのだからあまり気にはしていなかったのだが、やはり社会人になる前の心境としては複雑だ。
しかし、複雑な故に楽しみもある。
社会人になったら自分自身はどのような存在になるのだろうかと。
優秀か普通か落第かなんてすぐにはわからないが、誰しもスタートラインは同じなのだから、後は自分次第でどうにでもなる。
そう考えると複雑な部分も完全とは言えないが拭いさることは出来る。
全ては自分自身が決め手を作ればいい。
まぁ、口先だけでなく行動に移さないといけないのだが。
とりあえず、まずは今を精一杯駆け抜けようと思う。
22歳の1年間はまだ始まったばかりなのだから。
青く雲が漂ったそらを見ながらそう思った。
20を過ぎると老化が始まるなどというのをあまり気にしていなかったが、最近は本当に老化してるなって思うことが多くなった。
体を動かすにしても、食事にしても、物事を考えたり書くにしても老いを覚える。
まぁ、元々老けて見えるのだからあまり気にはしていなかったのだが、やはり社会人になる前の心境としては複雑だ。
しかし、複雑な故に楽しみもある。
社会人になったら自分自身はどのような存在になるのだろうかと。
優秀か普通か落第かなんてすぐにはわからないが、誰しもスタートラインは同じなのだから、後は自分次第でどうにでもなる。
そう考えると複雑な部分も完全とは言えないが拭いさることは出来る。
全ては自分自身が決め手を作ればいい。
まぁ、口先だけでなく行動に移さないといけないのだが。
とりあえず、まずは今を精一杯駆け抜けようと思う。
22歳の1年間はまだ始まったばかりなのだから。
青く雲が漂ったそらを見ながらそう思った。
悪戦苦闘する中で・・・・・。
最近、物事が上手く行かないことが多い。
人生なんてそんなものかもしれないが、普通何かしら頑張っていれば報われていいはずではないかって思うけど、それすらない・・・・・。
特に今年はひどいもので、今まで味わったことのないことばかりあった気がする。
授業の途中退席命令、嫌がらせか私を試しているのか謎な1万字の自由課題提出、1度も決まらない就職活動、無駄に消えていく生活費、人間関係の距離感を感じるなど色々だ。
どちらも私は予想していなかった。
気づいたらこのようなことになってた・・・・・。
言葉すら出ない・・・・・・・・・・・・・・・。
正直言って何もかも嫌になることばっかで、21年生きてきたことを後悔したくなった。
体調も微妙で、少し老いた気がする。
あと少しで22歳になる。
20代前半の最初である21歳はいいことなんてなかった。
むしろ悲しいことばかりだった。
先日、ふとしたことから占いを見た。
すると、暫くの間は中途半端か最低な運勢ばかり・・・・・・・。
ここまで酷いのかって思う位酷かった・・・・・・・・・・。
何故?
何故今だけここまでって思った。
前向きに頑張りたいものだが、ここまで見放されると笑うしかない。
笑うといっても楽しい笑いでなく、苦笑だ。
苦笑するかため息をつくか泣くか怒るかしかない。
でも、そこまでするにも気力はない。
深い深い穴の中でもがくのを止めてしまった気分・・・・・。
そんな気分ながらも悪戦苦闘しながら就活と学業と私生活をしている今。
そんな時に限って空は青い。
悔しい位に清々しくて青いあの空・・・・・。
見ているだけで、自分が小さい小さいって思える。
そういう時だけ自分のことがばかばかしくなる。
何もかも忘れて自由になりたいって思える。
まぁ、そんなのは一時的なもので、ちょっとすればまた元通り・・・・・。
ただ、そんなことを思えるだけで生きてるってことを実感する。
空を見ることって重要なんだなって思う。
今日の空は本当に悔しい位青かった。
人生なんてそんなものかもしれないが、普通何かしら頑張っていれば報われていいはずではないかって思うけど、それすらない・・・・・。
特に今年はひどいもので、今まで味わったことのないことばかりあった気がする。
授業の途中退席命令、嫌がらせか私を試しているのか謎な1万字の自由課題提出、1度も決まらない就職活動、無駄に消えていく生活費、人間関係の距離感を感じるなど色々だ。
どちらも私は予想していなかった。
気づいたらこのようなことになってた・・・・・。
言葉すら出ない・・・・・・・・・・・・・・・。
正直言って何もかも嫌になることばっかで、21年生きてきたことを後悔したくなった。
体調も微妙で、少し老いた気がする。
あと少しで22歳になる。
20代前半の最初である21歳はいいことなんてなかった。
むしろ悲しいことばかりだった。
先日、ふとしたことから占いを見た。
すると、暫くの間は中途半端か最低な運勢ばかり・・・・・・・。
ここまで酷いのかって思う位酷かった・・・・・・・・・・。
何故?
何故今だけここまでって思った。
前向きに頑張りたいものだが、ここまで見放されると笑うしかない。
笑うといっても楽しい笑いでなく、苦笑だ。
苦笑するかため息をつくか泣くか怒るかしかない。
でも、そこまでするにも気力はない。
深い深い穴の中でもがくのを止めてしまった気分・・・・・。
そんな気分ながらも悪戦苦闘しながら就活と学業と私生活をしている今。
そんな時に限って空は青い。
悔しい位に清々しくて青いあの空・・・・・。
見ているだけで、自分が小さい小さいって思える。
そういう時だけ自分のことがばかばかしくなる。
何もかも忘れて自由になりたいって思える。
まぁ、そんなのは一時的なもので、ちょっとすればまた元通り・・・・・。
ただ、そんなことを思えるだけで生きてるってことを実感する。
空を見ることって重要なんだなって思う。
今日の空は本当に悔しい位青かった。
無になることも必要だ。
最近悩んだことがあった。
自身の就職活動についてだ。
諸事情についてはあえて触れないが、親とは相当話をした。
結局、就職活動は一からやり直し。
今までの時間はなんだったのかと思うが、話し合って決めたことだし、自身でも悩んだ末に決めた結論なのだから悔いはない。
いや、悔いがないと言えば嘘になる。
多少の後悔はあるのは事実。
だが、その後悔を跳ねとばすような就職先を頑張って探そうと思う。
これを「CHANCE」と考えた方がいいかもしれない。
悔いても意味が無いのだから。
改めて自身を「無」にするのも悪くない。
「私は、ここでお酒を二杯飲んでいる時だけが、自分が何者でもない誰かになれる」
この台詞は、私の大好きなドラマの1シーンで使われたもので、「女帝」と言われたホテルチェーン経営の女社長が唯一の楽しみとしている立呑屋でお酒を飲む際に、主人公たちに出会った時に言ったものだ。
彼女はホテル経営と息子との問題で悩んでいた。
結局、彼女は全てを無にしてやり直すことを選んだ。
私は、この彼女ほどの悩みではないかもしれないが、気持ちは同じだと思った。
私が何者でもない誰かになるとしたら何をしている時だろうか。
多分、空や海、自然を見ている時だろう。
解放感、壮大さ、無限さ、未知さなど言葉では表せないような気持ちになる。
また新たな一歩をこれから踏み出そうとしている。
今日はそんな日には相応しくないような空模様。
だが、私の心は晴れやかだ。
新たな一歩に乾杯!
自身の就職活動についてだ。
諸事情についてはあえて触れないが、親とは相当話をした。
結局、就職活動は一からやり直し。
今までの時間はなんだったのかと思うが、話し合って決めたことだし、自身でも悩んだ末に決めた結論なのだから悔いはない。
いや、悔いがないと言えば嘘になる。
多少の後悔はあるのは事実。
だが、その後悔を跳ねとばすような就職先を頑張って探そうと思う。
これを「CHANCE」と考えた方がいいかもしれない。
悔いても意味が無いのだから。
改めて自身を「無」にするのも悪くない。
「私は、ここでお酒を二杯飲んでいる時だけが、自分が何者でもない誰かになれる」
この台詞は、私の大好きなドラマの1シーンで使われたもので、「女帝」と言われたホテルチェーン経営の女社長が唯一の楽しみとしている立呑屋でお酒を飲む際に、主人公たちに出会った時に言ったものだ。
彼女はホテル経営と息子との問題で悩んでいた。
結局、彼女は全てを無にしてやり直すことを選んだ。
私は、この彼女ほどの悩みではないかもしれないが、気持ちは同じだと思った。
私が何者でもない誰かになるとしたら何をしている時だろうか。
多分、空や海、自然を見ている時だろう。
解放感、壮大さ、無限さ、未知さなど言葉では表せないような気持ちになる。
また新たな一歩をこれから踏み出そうとしている。
今日はそんな日には相応しくないような空模様。
だが、私の心は晴れやかだ。
新たな一歩に乾杯!
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