Category: 『今日の散歩道』(ミニコラム)

銀座が異国に・・・・・。

先日、所用で銀座に行ったのだが、土曜日で歩行者天国だったのにもかわらず日本人がほとんどいないことにビックリした。

すれ違う人の大半は中国や韓国の旅行客、確かに近年は周辺の再開発や商業施設の充実により外国人観光客も多くいたが、まさか日本人に会わないなんて思いもしなかった。

場所が場所だけに異国にでも行ってしまったかのような錯覚に陥りそうだった。

だが、社会的にも対立しているのに普通に観光客として来日してくれることは嬉しい。

惑わされる情報よりも自らの五感にて感じてもらいたい。

あとは解釈次第なのだが。

それにしても、日本人がいないのは逆に寂しいものだ。

時間帯が夕方前ということもあるが、日本の中心の一つとなるであろう場所にいないというのは疑問符が付く。

それはそれで面白いかもしれないが、あまりいい感じはしない。

次に銀座に行ったとき、日本人がどのくらいいるのだろうか。

少し気になるところだ。

今日の一言
「夏前に夏を感じる今日この頃。体調管理を忘れずに」

小保方さんの話から思うこと

STAP細胞で渦中の小保方さんという女性研究員、他方にて色々な報道がされている。

中でも驚いたのが「借金」と「虚言」という関係報道。

詳しいことは調べてもらえば判るのでここではあえて触れないが、ここまでマスコミはここまで報道するものなのかと私は呆れてしまう。

最初は時の人だったのが、今ではまるで人権を奪われている刑事被告人みたいなものだ。

善悪は別として、せめて人権を尊重はして欲しいと思ってしまった。

今の社会は一度失敗したら完全に社会的に抹殺するような風潮がある。

嫌な時代になったものだとつくづく考えてしまう。

もう少し、人対人として何事にも行動をして欲しいものだと改めて思った。

今日の一言
「春一番が到来してもまだ春は先なのか」


3.11に思うこと

明日は3月11日、何事もなければ普通の平穏な日であったはずだ。

しかし、3年前の2011年3月11日、日本に大震災があった。

東北地方を中心とした「東日本大震災」である。

その時、私は仕事中で、外出先で立ち話をしていた。

何もなければそのまま帰社しようとしていた中での地震発生。

インターネットにて情報収集し、震源地と被災地の状況が映し出された。

津波で町が飲まれていく姿は今でも目に焼きついている。

震災から半年経った9月、仕事で東北に1泊した。

震災直後は酷い有様だと聞いていたが、半年で市街地はある程度元に戻ったように見えたが、翌日に車で被災地の一部へ行った。

想像を絶するものだった。

津波で建物が崩壊したり、田や畑といった農地が海水で水浸しのまま。

橋やちょっとした段差がなければ被害はもっと拡大していただろうと現地の方に聞いた。

それから2度ほど仕事で伺ったが、市街地には活気が戻ってきた。

それはそれで嬉しいが、未だに駅前周辺には被災者用の住宅居住地があり、まだ行っていない場所などは復興が進んでいないらしい。

建設資材の高騰や人材不足で工事入札も不調に終わり、工事が進まないとか。

原発についても未だに活路が見えず、相変わらず東電側と政府と地元による三つ巴が続く。

被災者からすれば早く復興が進んで欲しいことを望んでいるはずなのに、裏では利権が動く形が見え隠れする。

7年後には東京でオリンピックが開かれるということで、世間の目もそちらへ向きつつあるが、もう少し復興についても考えていくべきではないのだろうか。

個人的にはそう思えてならない。

今日の一言
「まだまだ冬が居座っている。デモじゃないんだから」

お金が諸悪の根源では大間違いだ!

最近、お金が関係する事件が多発化している。

御老人を騙す振り込め詐欺や仮想通貨を利用したマルチ商法詐欺、生活保護の不正受給、仮想通貨の悪用による企業倒産と利用者の損失、業務上横領にインサイダー取引、そして挙句の果てが殺人。

何故、人はそこまでしてお金に困り、犯罪を犯すのか。

お金が無ければ何も出来ないのは日本だけでなく、世界共通のこと。

金持もいれば貧乏だっている。

それは大半の国家が資本主義なのだから致し方ない。

貧困になっても生活をしている人だって世の中には大勢いる。

好きでそうなったわけじゃないことだってわかる。

だからこそ、精一杯働き、稼いだお金を使ってみんな生きている。

にも関わらず何故、このような犯罪が増えるのか。

国や世界の状態を言い訳には出来ない。

悪いのは犯人だ。

出来心の万引きや窃盗も犯罪だが、殺人にまで発展してしまうこと事態考えられない。

お金が欲しいなら働くべきだ。

雇用促進が求められている現代、どの業種でも働き手は必要なのだ。

使い方は個々の自由、働くだけ働いて稼げばその分が自分に戻ってくる。

簡単に言えばそれだけのことなのだから、特段何もなければ誰だってお金は手に入る。

しかしながら、お金がらみの犯罪は増える一方。

諸事情があったとしても、結局は自己次第で物事は変わる。

これ以上、お金がらみで人が亡くなるような事件が発生しないことを切に願う。

今日の一言
「佐村河内氏、写真と印象変わってたな。反省より猛省してもらいたい。」



書への冒涜とでも言うべきか。

アンネ・フランクに関する書籍が破られるという被害が多発している。

報道では、被害にあったのが都内8自治体の38図書館の308冊で、有名な「アンネの日記」をはじめ、「アンネ・フランクの生涯」などアンネ・フランクにまつわるものや「アウシュヴィッツの手紙」など一般的なユダヤ人迫害に関する書籍もあったそうだ。

館内の蔵書検索システムで特定のキーワードを入力すれば本の有無や所在などがすぐにわかるから、犯人はこれを利用して犯行しているらしい。

何故、今頃になってこのような犯行をするのだろうか。

ナチズムに傾倒しているものか、軍国主義に傾倒しているものか、今の日本政府方針に反発するものか、アジア圏の国家の陰謀かと色々憶測があるようだが、このようなことをするのは好ましくない。

本に何の罪があるというのか、アンネやユダヤが何かしたのか。

警察には早く犯人を検挙してもらい、真実を知りたいものだ。

今日の一言
「そろそろ春らしくなってきた。花見が待ち遠しい」

人生設計の話

先日、友人と電話をしていて本人の人生設計を簡単に聞いた。

細かい話までは書かないが、感じたことは「ちゃんと考えているな」ということだ。

「人生80年」と言われるようになった昨今、どのような人生設計が一番いいのだろうかと想像してみたのだが、正直言って現実性もなければ「夢」みたいな感じで酷い。

まぁ、夢物語のようなことが現実化すればどれだけいいかというのだが、そんなことばかり考えていても目先が真っ暗になり、余計に将来が嫌になってしまう。

「なるようになる」と言う考え方も悪くないと思ったこともあったが、流されたとしても感情をもっているのだからどこかで後悔することになると思い、止めてしまった。

じゃあどうすればいいのだろうか。

パズルのピースのように決まった形があるわけでもなければ、模型のように順番に組み立てればいいようなものでもない。

建物のように決まった設計で組み立てられたとしても、施工不良があったり、どこかできっと疑義が生じてしまう。

どのような人生設計が一番理想なのだろうか。

しっかりとしたビジョンがあり、それを揺ぎ無い形で成しえればその人は人生の達人だ。

だが、現実を見聞きすれば何事も絵空事だったかのような状態だそうだ。

一番いいのは、人生の終焉時に「いい人生だった」とでも考えて言葉に発せられること。

全ては本人の意思一つだ。

とは言うものの、もう少し枠組から基礎をしっかりし、軌道修正をして満足出来る人生設計を組み立てられればいいのだが。

人生はロジカルシンキングだけでは上手くいかないと改めて思う次第。

「今日の一言」
「大雪に てんやわんやの日本列島 見習うべきは夏冬対策の都市か」

メダルや勝利が全てではないという認識を持ってもらいたい。

ソチオリンピックが始まってまだ日が浅いが、日本勢の活躍が大いに期待されているが、蓋を開けてみればメダル獲得が思うように出来ないものの、銀銅メダル獲得者も出てきたし、上位入賞者が多いことは凄いことだと私は思っている。

オリンピックもそうだが、「大会」という限られた場所に選手であれ、補欠であれ、関係者であれ出場出来ることは簡単ではないし、並大抵の努力だけでは実現出来ない。

その限られた世界の中でどのような形でも参加出来ることは国民としてもそうだが、一個人としても「凄いな」という一言冥利に尽きる。

しかし、スポーツ誌を中心としたマスメディアはメダル獲得をメインに報道しているし、国民もメダル獲得を大いに期待している。

それはそれでいいことだが、メダル獲得が出来なかったときの批判が酷い。

選手だけでなく、関係者もしくは他国までに及ぶことが多く、場合によっては遺恨さえ発生してしまう。

それに、国から補助されている強化費に対してもメダルが取れなければ「税金の無駄遣い」や「税金泥棒」扱いをする人もいる。

フェアじゃないことをしたのであればそれなりの抗議・批判も必要だろうが、如何せん、メダルが取れなかったことによる抗議・批判はやり過ぎではと思う節が多々ある。

「ここで」とか「あの場面で」とか色々と言う人がいるが、その時々で選手や会場、天気のコンディションだって変わるのだから終わったことを蒸し返すようにしてはいけないと私は思っている。

「よくやった」とか「頑張った」、「お疲れ様」という言葉が普通に出てこないことが逆に驚きだ。

メダルが取れないだけで「謝れ」や「税金泥棒」、「観光旅行に来ているのか」などと言われては選手や関係者も面白くないし、今後のモチベーションに影響する。

逆に言う側が言われる側になった際の心境を聞いてみたいものだと思ってしまうくらいだ。

野球や競馬、ラグビーにマラソンなどもそうだが、自身の期待に反目した結果になってしまうと大抵の方々がそのような蒸し返しになる。

業界人や関係者など特定のスポーツに関わっている方々からすれば考え方はやはりメダルとか上位入賞を期待するのは十分理解をしているし、競馬や競艇、競輪などのスポーツはギャンブルなので一攫千金を求め、応援している馬や選手もいるので一概に否定は出来ない。

とはいえ、時過剰なまでの批判の嵐はあまりに酷いし、人格や考え方を疑ってしまう。

見方考え方は等々あるから深くまでは問わないし、強要もしないが、もう少し批判を減らすことはしてもらいたいものだ。

今日の一言
「オリンピック選手の方々へ。無事に帰ってきて下さい!それだけが心配」
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