Category: 時事放論

野党よ、野合の勝利を当たり前に思うな。

久々に筆を執る。
いつもの口癖であることをお許し願いたい。
このところの政治が低レベル過ぎてしまい、論ずることすら嫌になっていた。
まさかの野党同士の合流には呆れてしまった。
何もかも考え方が違うのに、安倍首相憎しだけであのような選挙をするとは、ただの集団のいじめと一緒だ。
しっかりとした政策論争はなく、ただの批判の応酬。
与党ももっとしっかりとした政治をしてほしいものだが、まだまだ物足りなさがある。
だからあのような選挙になってしまう。
今回は全体では与党の勝利だが、野党同士で重点の1人区で勝利したのはある主与党に対する批判の受け皿を上手く利用し、受け入られた結果だろう。
とはいえ、今回の当選は純粋な勝利ではない。
あくまでも4党の組織力での勝利であり、個党の勝利ではない。
その結果が全体の結果だ。
与党も野党もしっかりしてもらいたいものだ。
今のままでは日本が終焉だ。

横暴な与党と死に体ダメ野党に暴力デモの国はもうダメか…。




しばらく国政を遠巻きで見ていたが、改めて思うことが3点ある。

〕薪泙議席の数にものを言わせて横暴化してきた点

¬酖泙倭衒僂錣蕕座舒討盻个気此反対ばかりで政党の機能を完全に失っている点

M諭垢碧^討紡个靴独紳个離妊發鮃圓人々が現れたが、こちらもただ反対で、対案を出さず一方的な感じが見受けられる点

特に安保法制においてはこの上記3点が非常に感じ取られる。

与党側は野党の戦略なき戦略によって混乱し、一部議員側が暴挙に出て、その暴挙があまりに横暴すぎてマスメディアや国民から批判される始末。

結果的に強行採決になってしまったのだが、もう少し我慢して対応をしていれば今回のようなことにはならなかった可能性もあるのではと考えてしまう。

野党側は現政権になると完全に議席数や支持率で圧倒的な不利になり、結束するときは法案審議の妨害の時だけで、あとは物見の見物のような感じになっている。

さらには今回の安保法制の審議を止めようと女性議員たちが与党側の議員にセクハラされたなどという話や責任者の解任決議などによる妨害工作が起きていることを報道で見て国会議員のレベルが低下しているなと呆れてしまった。

まずは反対意見の明確化及び対案を提示するのがしかるべきなのだが、それすら行わず、ただただデモ活動に便乗してしまうのだからもはや野党の機能は完全になく、ただの税金無駄遣い集団でしかないと私は思えてならない。

また、今回の安保法制のデモで、大学生で結成された団体の活動が注目を浴びていることについてだが、デモ活動には政治に関する高まりを感じられるし、他の民衆を扇動させることが出来る力を証明出来たことは一定の評価だと思う。

しかしながら、中身が「反対」の一点張りで、それ以上に係る内容が皆無に近く、また、今回の安保法制が承認された場合、賛成した議員の落選活動を展開するという発言が出たときには、社会的に人を排除または拒絶するような行為を行うという恐ろしさと品位と人格の欠如を感じさせられた。

さらにはデモ=民主主義という考えを持っているようだが、それは一部の方々の意見であり、一方的に国民を馬鹿にするとかいう表現や発言は適切ではない。

このような光景を見ていると、日本という国はもはや国家としての機能は悪化の一途を辿っているように思えてならない。

何事をするにもここまでお粗末では笑うことも出来なくなる。

戦後70年、今まで平和に生活出来たことは奇跡に近いと私は思う。

周辺諸国では戦争が発生したり、軍事力を増大させたりと我が国に対して非常に脅威となる中、先般発生したイスラム国による誘拐、テロリストによるアルジェリアの企業プラント占拠、9.11テロなど他国での事案ながら日本人が犠牲者になっている。

すぐそこまで来ているテロの脅威、他国の侵略。

それなのに今までが問題ないから大丈夫だろうという慢心的平和が長続きするとは思えない。

何かあれば欧米諸国やアジア諸国が日本を守ってくれるというのは夢物語だ。

日本は独立国家なのだから本当の意味で世界から認められるように動かなければならない。

そのためには今回の法案は成立してもらいたいのだが、成立をするにしても未だに理解はおろか勘違いをされている方も多いので、賛成する与党議員は休みを返上で国民一人ひとりに対しての行脚をしなければならないだろう。

法案が拒絶されたとしたら、野党や反対するデモ側の人間は対案を作り、国民国家に示さなければならないのが普通だが、今のままではそれすら不安だ。

しかし、何もされず、現状維持を望むだけなのであればこの国は国としてはもう死んだも同然だ。どこかの国の属国か世界のための経済特区的なポストになり、国家を返上すべきだと私は考える。

自国も守れない、他力本願で困ったらお金や諸外国が助けてくれるというような考えの国などもはや国家ではない。



与野党ともにもっと意識改革を

このところ、政治に興味が薄れたのは政治家の資質が悪くなったからだと思う。

昔は国民国家のために一生懸命だった部分が多く垣間見えたのだが、今はひたすら安定政治ばかり。

それも悪いわけではないが、1回失敗すればすぐに政治不信だとか退陣・解散というキーワードが出る。

政策や議論が1年や2年という中で完璧に出来るわけがない。

少しずつ調整し、変化を見極めたうえで最善の策を執ることが普通ではないのだろうか。

日本の政権が短いのはこういう世間一般論が通用出来ない永田町の常識と官僚支配から脱却出来ないからだ。

もうすぐ衆議院の解散と総選挙が師走に行われるようだが、政治と金だけでは国民は政治家を選ばない。

どれだけ自分たちのために働いてくれる人を議員に押し上げるべきだ。

「改革」というキーワードを一昔聞いた記憶があるが、今こそ再度改革をすべきなのではないのだろうか。

この先、日本がどのようになるのかは今の現職議員たちに託している。

与野党とも足の引っ張り合いではお笑い番組よりもつまらない。

もっと昔のように白熱してもらいたい。


今日のひとこと
「何事も変革がきっかけだ!」


「命」の尊さを知れ!

犯罪の低年齢下に歯止めが掛かっていない。

2013年8月、三重・朝日町で、女子中学生が殺害された事件で、18歳の少年が強盗殺人の疑いで逮捕された。

四日市市の中学3年の女子生徒を殺害し、現金6,000円を奪った強盗殺人などの疑いが持たれている。

当初、少年は事件への関与を否認していたそうだが、その後、「1人でやった、金目的でやった」と、容疑を認める供述に転じたという。

また、事件後、短文投稿サイト「ツイッター」に「手の震えが止まらない。平和の町だったのに」などと書き込んでいたとか。

この報道を見て、ある事件を思い出した。

東京・吉祥寺にて昨年の2月に少年2名が路上で帰宅途中の女性を殺害し財布入りのバッグを奪ったとして警視庁に逮捕され、先月に無期懲役の判決が出た。

確かこの2名も今回の事件の被疑者と同年代。

お金欲しさとはいえ、簡単に人を殺めてしまっていいものなのかと憤りを覚える。

今回の事件後、被疑者は普通に生活し、就職先も決めて高校を卒業したそうだが、心の内は如何なるものだったのだろうか。

それにしても昨今では「命」が簡単に奪われる。

「命」に相場はない、「命」をお金で計るようなものではない。

それなのにお金欲しさに犯行に及ぶとは随分と「命」も軽んじられたものだと思えてならない

被害者からすれば大切な家族・親族・友人・仲間を奪われてしまうからには被疑者にもそれ相応の量刑を求めるのも当然だと言える。

しかし、近年では死刑廃止論が高まっている。

私、一個人としては死刑についての賛否は正直言って決めかねる。

確かに死には死をもって償うことが「命の代価」に相応しい。

だが、その「命」を裁判と言う天秤にかける側の裁判官、検察、弁護人、警察も辛い。

被疑者とはいえ、法律で定められているとはいえ、結局は「命」を扱う。

そう考えると余計に「命」の尊さを我々は学ばなければいけないと痛感させられる。

我々はもっと「命」の重要性を認識しなければいけないのではないのだろうか。

最近では某大学生が交際していた女性に対し、SNSで死を強要し、結果相手が自殺するという残忍な事件も発生している上、いじめによる自殺などの被害が相次いでいる。

人が手を下さなくても簡単に「命」は奪えてしまうのだ。

親兄弟や親族、教師や上司部下、友人同士でも構わない、「命」とは何かを再認識するように心がけてもらいたいものだ。

悲しい報道はもう見たくない。

今日の一言
「今日は3月3日、ひなまつりという女性の節句。いい人になるんだぞと心から願う」

東京都知事選の考察

東京都という全47都道府県の中でも首都というポジションを担うトップを決める選挙が来月の9日に行われる中、次々に立候補者が名乗りをあげている。

中でも注目を浴びているのが細川元首相と舛添元厚労相の2名ではないだろうか。

他にも宇都宮前日弁連会長や田母神元航空幕僚長など数名が立候補を表明しているが、注目度や経験地からすれば前者2名の方が圧倒的に有利である。

だが、個人的には今回の選挙ほど東京都民はおろか政治というものを馬鹿にしているものはないと考えている。

本来であれば石原元都知事から継承した都政を猪瀬前知事が全うに行えれば良かったのだが、自身の政治献金問題で辞職をせざるを得なくなったための選挙、石原・猪瀬両氏の意思もそうだが、都民のことを第一前提に立候補者は考えていかなければならない。

にもかかわらず、与野党問わず自前候補者を擁立することが出来ず、気付けば今回のような自体に陥っている。

自民・公明両与党は舛添氏を、民主党は細川氏を共産・社民が宇都宮氏をそれぞれ支持するようだが、あくまでも支持のみで公認や推薦にはしないし、舛添氏はかつて自民党を批判・離党した点、細川氏は首相時代の政治資金問題等々による不信感も残っているようで、一部では態度保留や批判が拭えていない。

また、他党について態度は明確でないが、舛添、細川両氏が軸になることは想定される。

しかし、今回の選挙のメーン課題は都政についてのはずなのだが、小泉元首相の「脱原発」というテーマが主軸になりつつあることが懸念だ。

細川氏の立候補も小泉氏や旧新党時代の同士たちから担ぎ上げられたようなもので、自身でなく他人の褌で相撲を取ろうとしていること自体が候補者としてあまり相応しくない。

舛添氏については過去に都政を志して都知事選にも出馬しているが、それ以前に自身が率いてきた政党を蔑ろにし、国政から足を洗ってから都知事にというのもどうかと思ってしまう。

かといって、他候補についても実際に都政を率いる力があるかは未知数すぎる。

過去の都政を見ていけば、大半が実力者またはリーダーシップがあった人間ばかり。

様々なことを議論し、それを都政に生かすことは都民からすれば大いに歓迎出来るが、今回ばかりは期待はあまり出来ない。

また、今回の選挙を国政の大転換へ利用、脱原発や原発政策議論を大いにしてもらいもっと力を入れてもらいたいという勢力があるようだが、着眼点がずれ過ぎている。

国政に影響を及ぼすことは否めないが、何事にも国を前面に出してしまうのであれば地方分権には値しないし、都道府県や市区町村などの行政などお飾りみたいになってしまう。

最近の選挙は「民衆」のための選挙とは思えないほど酷い。

せめて、今回の都知事選が都民のために行われ、都民が望むとする都政を担う者に知事になってもらいたいものだ。

そして、今後行われる選挙についても同様になることを切に願いたい。

今日のひとこと
「寒さに凍えてしまいそうだ。このまま都政も冷え込まなければいいのだが・・・・・」

政党政治の終末期を見た

年内はコラムを書かないつもりでいたが、簡単に。

「みんなの党」が分裂した。

江田前幹事長と渡辺代表との間に出来た溝が堀になり、壊すことはおろか埋めることすら出来なくなった結果だろう。

離党した14名と他党からの人員を集めて新党を結成するようだが、どうなるかはわからない。

また、「日本維新の会」の東国原衆院議員も党とのすれ違いから離党し、比例区選出だったので議席返上をするため議員辞職をするという。

民主党も離党者が出ていたりするなど、野党は再編をしなければならないような状況に陥っているようだが、果たして簡単に出来るものか。

かつての新党ブームというものはすでに国民から飽きられていることは先の選挙もそうだが、前政権である民主党を見ても明らかだが、政策も理念も違う人間ばかりを集めた寄せ集め政党では結果的に国家国民に対して何も出来なかった。

無論、長年与党の自民党が全て正しく機能していたのかと問われればそれもない。

他国を見てもそうだが、政党政治というものは正直って面倒だ。

政党に所属していたからといって政党全員が同じ考えや答えを持っておらず、かといって派閥やグループに所属していても同じ考えや答えがあるわけではない。

かつては「領袖が白といえば白、黒といえば黒」というような時代で、政治も答えが2択しかなかったのだからある意味やりやすい反面、出来レースのようなものだった。

それが1993年の55年体制崩壊を契機に変動し、答えも複数化され、国民としてはより良い政治を期待したのだが、結果的には変わらないどころか余計に酷くなり、現在に至っている。

何事も「古き良き」で片付けてしまうことは宜しくない。

宜しくないが、どう考えても昔の政治もそうだが経済も人間も判断力があり、答えが分かりやすい方がやりやすかったと私は考える。

学術的根拠はないが、これは日本人の気質なのだろう。

無論、悪癖があることはわかっているが、多少はそのくらい行わないと国際社会では生きていけないと思うのは私だけだろうか。

密約だの献金だのも一種の政治取引だが、それを常に行い、また懐に入れてしまうような者がいたからこそ、悪い印象だけが残ってしまう。

話が少し脱線してしまったが、簡単に言えば新党なんか結党しても長続きはしないということだ。

一定のことだけで下野の下野をしても、どこかでまた綻びがあったり、他党と合流して与党を目指そうとするだろうが、果たして国家国民、そして国際政治がそれを受け入れるだろうか。

箱物というテリトリーやコミュニティを作ること、仲間と徒党を組むことも悪くはないが、本当にそれは選挙民へのためなのか。

自分が政治家として長期に生きていくためだけならただの愚問に過ぎない。

国際政治だって同様だ。

今話題のタイの反タクシン勢力との抗争や北朝鮮の金正恩体制下における権力闘争等により失脚した張成沢前国防委員会副委員長や関係者のの粛清・処刑に中国のチベットや国内政治等も諸問題もそうだが、欧米諸国にしてもそうだが、議会制や多党制、一党制ですら限界が来ているのであればもっと新しいことをしなければいけないはずだ。

答えは簡単に出るものではないが、せめて負の遺産として次世代以降へ残していくことだけは止めていただきたい。

責任ある立場にいる以上、それが役割であり義務なのだから。

今日の一言
「闇鍋会でも開いて本音を曝け出すのも一興、第二の松野頼三は何処か」

山本太郎議員の行動についての簡単な考察

昨日の秋の園遊会にて山本太郎参院議員が天皇陛下に対して原発に関する手紙を手渡しした件についてだが、各所から様々な意見が出ている中で私個人も意見を踏まえて考察してみた。

基本的な点から考えれば陛下に対しての手紙を渡す行動は政治的にも一般的にしてもやってはいけない行為であると考える。

理由としてあげるのは下記の通りである。

‥傾鎚轍爾蝋饑に直接関与出来ない点が憲法で定められている点
園遊会という交流の場での政治的行為をすること
参議院議員の立場の理解度

,砲弔い討脇本国憲法第4条で定められている「天皇の国事行為」についての制限で天皇陛下の政治関与をしては行けない事になっている。

△砲弔い討榔猴群颪箸いε傾帖皇后両陛下主催の会にて、基本的にはマナー違反。

については国会議員という立場の中で動くのであれば有志を募って法案作成から成立も可能なうえ、直接総理大臣に対して意見を言うことも可能だ。

そういう状況にも関わらず何故あのような行動に出てしまったのか。

本人には色々な思惑があっただろうが、批判は想定外を超えてしまっている。

明治期の田中正造という元国会議員で活動家だった方が天皇に直訴した例が挙げられているが、あの時の政治状況とはまた違う。

議員辞職までの声は行き過ぎていると思うが、せめて「良識の府」である参議院議員であり、公職に就いている身なのだから今一度礼節を学び直してもらいたい。

様々な問題・批判がある中、東京都民から頂いた数十万票の重さを改めて理解してもらいたいものだ。

また、このような行動が発生するということは政治にも防犯上にも問題があるのではないか。

政府がもっと被災地域への支援を行い、防犯に対しても厳重なボディチェックや荷物確認をしたうえで天皇陛下以下皇族や参加者への安全を守ってもらわなければならない。

今回の問題がある意味いい方向へ動いてくれるといいのだが。
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