所詮男も女も消耗品=自己満足

作家の村上龍さんの著書に「すべての男は消耗品である」というものがある。

「消耗品」という言葉が気になっているものの、まだ読んではいない。

読む以前に、「男は消耗品なのか」という疑念が私に中に残った。

ここからは個人的な考察になるので、不快感を覚えた方には先に言っておきたい。

「消耗品=1度きり、もしくは使用が限られている物」というのが一般的な見方である。

おそらく、男が消耗品という表現は女から見る「容姿」や「地位・名誉」に「金銭」や「性的欲求を満たす」なことではないかと思う。

女からすれば上記キーワードが全て好条件であればこれほど好ましいことはない。

それらを得ることが出来れば自身の女としてのステータスが上がるというものだ。

しかし、いずれかの条件、もしくは不一致が生じればあっという間に興味を無くし捨てられてしまうし、もしくは見る気もされない。

そう考えるとまさに「男は消耗品」である。

だが、男からしても逆のことが言える。

男だって女に対し好条件を求める。

特に男女問わず求められる好条件は「容姿」だろう。

「スタイルがいい」や「服装がいい」、または「顔」に「胸」などのパーツがいいと言ういわゆる「美男美女」だ。
まずはこの段階で「選別」が始まる。

私は論外の人間だから蚊帳の外で見ているが、実際に目の当たりにすると、「ここまで差別が」というほど扱いも変わってくる。

ここからスタートし、さらなる「選別」がスタートするが、中には妥協し、元々興味のないことだからここで終わってしまうこともあるだろう。

全ての選別を終え、残ったものが「勝者」となる。

しかし、なったからと言って安心は出来ない。

「時」が変化をもたらすのだ。

その変化が「消耗品」という状況を生み、また「商品」となっていく。

もっと悪く言えば「自己満足」の果てみたいなものだ。

とはいえ、この循環により今の我々がある。

所詮は「自己満足=消耗品」なのだ。

我々にも寿命がある。

この寿命こそが私たちの商品価値なのだ。

と、勝手に解釈をしてしまったが、これも「自己満足」なのだろう。


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