Archives : 2013年08月

下世話な感じが蔓延しているようで

各種マスメディアを見て思うことがある。

スキャンダルとか事件をネタにする「下世話」な内容が増加傾向にあると思う。

TVなどでは夜から深夜枠でこのような内容の放送は以前から見られており、いかにも時間帯に見合った内容だなという感じで見ていたが、やがて午前中や夕方という時間帯においても同じような光景が見られるようになり、内容もより過激になっている。

いくら「芸」が商売だからといってそこまで公にするものどうだろうかと疑問に思えてならない。

電車の中刷り広告を見ても前面に出るのは下世話な内容ばかりで、周囲の話もそのような話題が増えてきたように思える。

下世話も内容にもよるかと思うが、正直言って今の状況はあまり好ましくない。

下世話=エンターティメントや評論・文芸という構図があるのは判るが、それを前面かつ中心にしてしまうのは人の品格を問うことになるのではと私は考える。

いつまでもこれではいずれ人はマスメディアから離れるだけでなく、このような下世話が嘘であれ信であれ蔓延して人が人を信用出来なくなる日がやってくるようで恐ろしい。

「言論の自由」という表現が痛々しい。

今日の一言
「家族間の事件が増えていることが痛ましい。心頭滅却を心がけよう」

人事考察

よく人事の話をする。

人事の話といっても仕事の話ではなく、誰が移動するとか誰が理想とかくだらない話にも思える。

でも、意外と考えると面白く、またどのような組織になるのかが気になって仕方がない。

辞めなければまだ40年以上あると思われるサラリーマン生活の中で、人事は実に興味深い。

時々、上司などとも話す機会があるのだがやはり目先でなく数年以降先を考えて決めなければいけないということを聞いていて思うことがある。

私なんかは適材適所に配置すること、部署縮小や統合などで一部人件費の圧縮とか会社自体を再分社化するとか外部から人を受け入れるとか色々なことを考えてしまう。

予想屋というよりは理想屋・夢屋とでも表現すべきなところだ。

ただ、面白いだけで考えているだけではいけないので私なんかは人格なんかも見るようにしているが、まだまだ人を見る眼力は養われない。

養うにしてもなかなか難しいのだが。

何事も対案があって然るべきなのだが

先日、後輩と食事をしている時に話題になった話だが、何をするにも対案があって然るべきなのではという結論が出た。

政治にしても外交にしても双方が一方的なことを主張・批判するだけで対案が全く出てこない。

仕事も同様で、上司と部下の主張が食い違えば批判・反論だってあるが、企業では上司が絶対という部分もあるのでなかなかそれが出来ないのが現状。

家族や親族間なんかの揉め事なんかも同様だ。

揉めるのであれば双方が納得するまで話し合えばいいという単純な考えすら出来ないのかと思うと改めて人間は難しい生物なのだろうと思ってしまう。

それぞれの主張・批判をするのは構わないが、それに振り回される側のことを考えたことはあるのだろうか。

民族とか考え方、性格等々あるのは分かるが、分別を弁え、解決を導き出すことが最もだとは思わないのだろうか。

改めて私は問いたい。

とことん議論してお互いに納得がいく結論を出せと。


今日の一言
「嫁入りした狐が出戻ってきたから梅雨なのか」
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