Archives : 2013年08月

雨の日の話

先日、仲間と朝までカラオケで盛り上がり、駅で別れて帰宅するために移動したのだが、別の駅でとある異変に気付く。

「雨が降っている」ことだった。

先日来より夕方から明方にかけて雨がよく降っていた。

なんとなく嫌な予感はしていたのだが、案の定降っており、この日に限って折り畳み傘を忘れる始末。

しかし、改札口で合う人合う人の大半が傘を持っている。

「計画的だな」と思っていたが、実は駅に傘専用の自販機があることに気付くと、「みんな一緒か」と安心してしまった。

しかし、乗り換えの駅までは数百メートルしかないからそれだけのために傘を購入するのももったいない。

なので少し歩いたら、雨脚が強くなり、これではたまらないと私もコンビニで傘を買う。

ビニール傘は壊れやすいがその分値段は安価、雨の時ほど売れることはない。

最近では100円ショップでも気軽に買える傘、それが500円だったり1,000円だったりするとちょっと買うのに躊躇する。

だが、濡れて風邪を引いたり体調を崩してお金がかかるなら傘を買って濡れないようにすることがいいのか、他の方々は買っていた。

その私の傘を買うことに躊躇する心が好くないのだろうか、傘を買ってすぐに店を出たら雨が止んでいた。

ちょっとでも安く買おうとしたことを見透かされたようで苦笑いしてしまった。

その後、最寄り駅でまた雨が降ってきたので最終的には重宝する形になったのだが、最初のことを思えばちょっと納得がいかない。

とはいえ、生きているとこうも偶然のようで当然のような出来事が起きると改めて考えさせられた。

世の中の仕組みは意外と合理的になっているのだなと。

無論全ての方々が納得行くようではないのだが、これはこれで面白いのかもしれない。

何事も考え方なのだろう。

今日の一言
「そろそろ秋、猛暑・酷暑はもうたくさん」


成人を過ぎたら年齢制限などは設けない方がよい

年々平均寿命も高年齢化することは喜ばしいが、その一方で少子高齢化が進み、既に高齢社会に片足を踏み込んでしまっているのが現状で、公的でも民間でも高齢対策が追いついているようにはとても思えない。

テレビで見る保険のCMでは高齢者でも加入出来ると謳っているが、実際は一定の年齢までしか入れず、企業の定年者への再雇用についても65まで義務化される中、年金授受の関係などにより身分や給与などの待遇が悪く辞めてしまうケースも多いようだ。

そのためか、技術が必要な業界では若手育成が間に合わない上、再雇用が上手く行かないため技術伝承が出来ていないケースもあると聞いた。

また、晩婚化が進んでいるという中で、「高齢出産」に伴う不妊治療等にも制限が出来ている。
少子という状況下、高齢であれ妊娠・出産を望む方は多いようなのだが、医療関係の補助が足枷になるという。

このまま高齢社会に突入し、現状のままで各種推移すれば国家が無くなってしまう危険性すらある。

対策等については各種様々あると思うが、まずは成人になった段階で設定されている年齢制限を撤廃してしまうのが一番だと私は考える。

雇用や生活にしろ、金が回らなければ企業が成り立たないし、働けなければ生活が成り立たない。

また、医療・福祉についても手厚い保護が必要である。

年金を払っていても貰えなくなる危機すらある中、現状に甘んじていては何もかも崩壊してしまう。

「ゆりかごから墓場まで」という某国の各種手厚い保証があれば別だが、それすら見込めない。

行政もそうだが、企業としても対策を講じなければ先は無い。

若者に対しても高齢者に対しても手厚い保護と自立と共生をさせるためにもっと動いてもらいたいものだ。

欲は果てしないものだが・・・・・。

先日、偶然にも同様の話が複数あった。

内容までは明かさないが、改めて感じたのは「人の欲は果てしない」ということだろうか。

山崎豊子の小説「白い巨頭」の財前五郎を思い出した

教授、さらにはその上を目指すために豊富な財力や人脈等々を使って上り詰めるが、皮肉にも胃がんにて果てるという結末だっただろうか。

詳しくは単行本を読み直してもらえればと思うのだが、欲を欲すれば欲するほど得るものもあれば失うものもあるということを私は本やドラマを見て思ったことがある。

欲を出すなとは言わないが、何事も程々や身の丈がちょうど良かったりするのも事実。

ただ、人間というか生物は何をするにも「欲」はあって当然だと思う。

当然だと思うのだが、そこには葛藤もあるはずだ

葛藤の末に出た結論までは個人のことなので咎める事は出来ないが、自分だけは見失わないようにしなければならないのではと私は改めて思う。

今日の一言のつぶやき
「性別で勝っても人として劣っては意味が無い」


職・食への冒涜

先月くらいからだろうか、飲食店等における従業員の不適切な行為が報道されたのは。

店内のショーケースに入って写真を撮り、それをSNSにて公表するという行為自体に疑問はなかったのか。

当事者たちは何を考えてやったのかを改めて問いたいと思うほどこの話題は不快だった。

これから何百という顧客が購入しようとしている商品と店をネタにする行為は犯罪というよりも人としての根本的な倫理が成り立っていないように私は思えてならない。

よく親や教師などに「食べ物を粗末にするな」と言われたが、好き嫌いとは訳が違う。

自分たちのネタのために利用された食品は全て廃棄され、店や運営企業は信頼を失墜するということを考えなかったのだろうか。

ある企業に至っては発生元の店舗を閉店させ、加害者側に損害賠償をするというような記事もあった。

「従業員の教育が至らない」とか「正規外の雇用が招いた結果」とか色々と企業への責任が問い立たされるが、これはあくまで個人の問題だろう。

何をするにしても「やっていいのか」という考えは必ずある。

そこに抑止力や社会的な考えがあればこのような事態は食い止められたはず。

だが、模倣的な意味合いからか、最初の不適切行為以降増え続けている。

その行為をした時は達成感はあるだろうが、やってからでは遅いし、反省しても許される行為ではない。

私は今回の件は企業が当事者に対して解雇という処罰のみでいいとは思えない。

行為としては譴責くらいで済むかもしれないが、公になり、なおかつ他者への迷惑をかけた行為は甚大だと考える。

個人的には民事事件にしてもよいと思うくらい悪質だと思っている。

当事者たちの社会的責任は重い。

これ以上こういう行為が起きないよう企業は規範を守り、各個人はやってはいけないことと認識すべきだ。

このような事件がパロティ化されないことを切に願いたい。

「ならぬことはならぬ」という会津の什の掟の一説が身に沁みる。

気温との戦いは引くが兵法である。

とうとう日中気温が40度を超えた。

連日の猛暑日で、死者も出てきた。

これからお盆休みというのにこれでは子供も簡単に外で遊ばせることも容易ではない。

かといってせっかくの休みを室内に空調を効かせながら過ごすというのも風情がない。

服装の軽装化や冷たい飲物の摂取等だけではもやはこの暑さは乗り切れないのかと思えてならない。

しかしながら、一定の対策を講じた方が確実に身体には良さそうである。

以前、「猛暑」より「酷暑」という表現をしたが、「酷暑」よりも「惨酷署」という方が今年はいいかもしれない。

とにもかくにも無理に気温と戦わず、数歩引いていた方が平和そうだ。

今日の一言
「ここ最近、みかんの氷菓子が美味くてたまらない」

とある出来事からの考察

先日、昼食で訪れたラーメン屋で注文したものが20分くらい出てこなかったことがあった。

普通の人であれば怒ってしまうだろうが、店のフォローや状況等を考えて私は待った。

元々気長な方なので大したことはない。

強いて言えば嫌いだからトッピングから除外してもらったはずの胡瓜が入っていたことが頭にきたかもしれない。

とはいえ、2名の歳の離れた男女が切り盛りしているんだから多少のことは致し方ないという気分だ。

しかし、世の中とは不思議なもので、1名で大勢の注文に対応する料理人もいれば、大人数で作業を分担して料理を出す店もある。

仕事で例えてもそうだ。

個人事業主でも時間を持て余す方もいれば1人で精一杯にも関わらす多くの仕事をこなす方もいれば、大所帯でありながら仕事の分散が上手くいかず人員整理をするような企業もある。

人の効率や業種業態による影響かもしれないが、ここまで対極だと本当に不思議だ。

我が国の失業率は昨年度では4.1%で約260万人だとか。(総務省統計局データより引用)

国が思い切って失業者に対して雇用保証をすべきだと思う。

今までは保険とか補助金とかで賄っていたが、これでは損をするのは働いている国民だけだ。

景気を底上げするため、企業が欲しがっている人材に対応するため、人が独立して自身の意思を持って生活が出来る様にするための大前提として国が失業者を一手に雇用し、適性検査や人材調査等をした上で見合った業種業態に派遣すればいいと私は考える。

簡単なことではないが、遠くない将来に待っている様々なことを考えれば絶対に行うべきだと思う。

今日の一言
「景気回復の前進は増税や消費も必要だが雇用こそ最重要課題では?安倍さん」

日本が孤立しないためには

今年で68回目の終戦記念日および原爆忌の平和式典が広島・長崎にて行われようとしている。

「二度と戦争はしない」という国民の主張は尊重されてはいるものの、国際社会を見れば地域紛争は絶えず、国際協力を求められても金や物資でしか支援出来ず、派兵するにしても特別法案で限定的にしか支援出来ない我が国はある意味孤立している。

領土・海域問題を抱える我が国では領海・領空侵犯は絶えずあり、対応出来ることは威嚇射撃や注意を促す程度に限られており、これでは抑止力になっているようでいないのが現状といえる。

安倍政権に変わり、憲法改正もようやく視野に入ってきたが、ここで改憲をする場合の壁として立ちはだかる中に「憲法第9条」が存在する。

今の憲法下では自国の防衛は出来ない上、海外支援すら出来ず、表現や文面を変更しようとすると批判が相次ぐ。

確かに、過去の侵略戦争の結果、日本は広島と長崎に原爆を投下され、大都市は大空襲に遭い、北海道と沖縄は一時占領されたという不の遺産がある。

憲法改正だけでなく、原子力に対しても武器とエネルギーの分別がなく批判が多い。

過去の原爆投下が最もなアレルギー要素だが、これに加えて一昨年の東日本大震災時の福島での原発事故、それ以前の放射能漏れや諸外国での事故が余計に原子力を否定する。

だが、エネルギーとして原子力が使用出来なくなった場合、既存・代替エネルギーだけで日本は成り立つのだろうか。

現に、諸外国に対して原発を売り込む我が国だが、このような中途半端さではビジネスもままならない。

「安心安全」を謳ってきた中でのあのような事故や諸問題があるのだからアレルギーになってしまうのも当然の話だろう。

しかしながら、我が国は国際社会において一定の地位を築き、欧米列強と再び肩をそろえている現状の中で、改めて様々な事柄についての立場を検討する時が来たのかもしれない。

様々な思惑がある中、日本はそろそろ介助なき国家運営をしなければならない中、世相を見極め、本当に我が国が堂々と諸外国と渡り歩けるようになるために動いていかなければ日本はいつか本当に孤立してしまうだろう。




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