テロリスク

つい150年位前までは「鎖国」と揶揄されてきた日本や中国等のアジア諸国は今や、堂々と海外にて生活したり、事業展開をしているが、常にリスクは抱えている。

異文化による問題が一番だろうが、その次に考えられることは「テロ」ではないだろうか。

2000年のアルカイダによる飛行機をハイジャックし、ニューヨークの貿易センタービルに突撃した光景は今でも覚えている。

あの時はビル内に入居していた国内企業の人間が犠牲になっている。

その後もテロ組織や軍隊によって犠牲者が出ている。

戦争やテロは簡単に根絶出来るものではない。

数十年から数百年に亘って続いてきた様々な思惑がこのような事態を招いている。

日本などはテロが早々起きることもない平和な国家であるが、他国は違う。

中米や中近東の発展途上国だけでなく、欧米諸国ですらテロの脅威にさらされている。

日本でもし大規模なテロが発生した場合、簡単に対応出来るだろうか。

自衛隊という軍隊がいても、法律上国防も出来なければ諸外国すら助けることも出来ない。

今回アルジェリアで発生したテロに巻き込まれた日本企業および従業員たちはただただ指をくわえて情勢を見守ることしか出来ない。

しかも、21日には日本人7名の犠牲者が確認されたことが政府から発表されている。

各種報道を見ても残忍極まりないと思えてならない。

今回のことを踏まえ、日本はどのようにして未曾有のテロを防がなければいけないのか。

正直言って防ぐことは用意ではない。

傭兵を雇ったり、事業展開をする国々の国軍に頼ったりして警護を強化することが一番考えられるケースだと思うが、それだけがテロ抑止にはつながらない。

サイバー攻撃、従業員のストライキからの暴動、国家間による争いへの巻き添えと考えれば切がない。

人対人の問題だからこそ話し合うべきなのだが、武力に頼ってしまうのが今の現実である。

戦争は悲劇しか招かない。

だからこそもっと平和について我々は考えていくべきだ。

今後、日本はどうあるべきかを安倍政権には強く訴えたい。




日々の変化に一喜一憂

新年になり、年賀の挨拶を友人たちにした。

近年は年賀状よりもメールやSNSを利用した挨拶が多くなり、今年も早速挨拶をした。

しかし、年々相手からの挨拶も簡略化したり、中には返事が返ってこなかったり、送れなかったりもする相手が続出した。

喪中であればこちらに不手際があるので謝るところだが、返事が返ってこないことは残念だった。

しかし、これもまた日々の変化なのだと思ってしまう。

我々は常に予測が出来ない中で時を過ごしている。

自分たちが描いた理想通りに生きることはなかなか出来ない。

こればかりは致し方のないことであり、近況が常に変わる以上普通なのだと考える。

だが、この現実に納得しない私がいるのも確かである。

嫌われたのであろうかとか、避けられているというネガティブな考えになってしまったり、一般的なことすら出来ないのかと呆れかえってしまったり、どうでもいいかと流されたりという考えに陥ってしまう。

こんな些細なことで一喜一憂する自身がまだまだ幼いのであろうか。

現実とは実に冷淡なものであると思う今日この頃である。


「今日の一言」

七草を 食す前に 身心病みて 験を担ぎなど する意味もなし

2013年度のご挨拶

皆様、遅ればせながら明けましておめでとう御座います。

今年がどのようになるかは皆様次第ですが、くれぐれも身体が資本でございますので、ご自愛下さい。


長田 勇人 拝

2012年度のご挨拶

皆様へ

今年も大変お世話になりました。

誰も見ていないブログで、自己満足で書いているようなものでございますが、少しでも閲覧頂けて幸いです。

毎年中途半端で終わっております。

来年もきっとそうでしょう。

しかし、これもライフワークですので来年以降も続けていきます。

来年もどうかよろしくお願いいたします。


コタツの思い出

暖を取るために我々人間は様々なことをしてきた。

火をおこすことに始まり、竃や囲炉裏をつくり、やがて布を纏い、火鉢やコタツ、ストーブを経てエアコンや床暖房に至っている。

考えてみれば人間はかなり偉大なことをしているのだなと末端で生きている私は思うのだがいかがか。

それはそうと、未だに暖を取る上で使用されているのはコタツだ。

無論、電気だったり、炭だったりと種類は色々あるが、やはり電気が一般的。

昔は掘りゴタツで、かくれんぼなんかしたりして遊んでいたが、今思えば一酸化炭素中毒とかで死人も出ているのがらか冷や汗ものであるのだが、あの頃はそれが楽しかった。

近年のコタツは進化を続け、今ではテーブル形のコタツが販売されている。

和から洋へ生活が移行している中で、いかにも和洋折衷の組み合わせはいいと思う。

工夫は常に行われているのだが、やはり普通のコタツが一番いいと思えてしまう。

家族でTVを見ながら会話をしたり、夜中寒いのでコタツに入り暖まろうとしてそのまま寝てしまったりと色々な思い出がある。

最近では仲間内でコタツに入りながら飲んだりもした。

何かにつけてコタツが一番いいように思える。

今年も遅ればせながらコタツを出した。

今日も転寝しない程度に寝てみようか。

選択肢の多さが招いた結果

選挙も終わり、ようやくクリスマスから年末年始になる。

2013年はどんな年になるのだろうか。

それにしても今回の選挙ほど民意を馬鹿にしたものはない。

小選挙区比例代表並立制という枠の中で12政党が乱立、多くの選択肢を国民に与えたことは立派だが、
あくまでも国民というよりは自分たちの保身のためだったように思える。

政権与党があんなに追い詰められ離党者が続出すること事態前代未聞なのだが、よくよく考えればこの政党自体寄集めだったことを考えれば当たり前だったのだろう。

得票率も60%以下という戦後最低の結果の中での再度の政権交代。

新政権に課せられた役割はそうとう重く、逆に旧政権は建て直し、第三極は新たな形で政治に挑まなければならない。

今日の一言
「恨み辛みもあるけれど、それが生業だから仕方ないんじゃないか落選者」

12政党、1500人の出馬

本日、16日投開票の衆議院選挙の告示となった。

12の政党から1500人以上出馬とか。

民意を馬鹿にしているとしか思えない。

小選挙区制では300、比例代表では180の計480という議席の中、当選倍率は約3倍。

政党で決めるのか、個人で決めるのか、それは個人というか民意次第だが、今回のような場合だと死票が多く出るのは事実で、出馬者の中には参議院議員を辞職してまで出馬するのだからこれもまた民意を馬鹿にしている。

かつて「良識の府」と言われた参議院、タレント候補とか政党のイメージアップや落選した衆議院議員の受け皿になってしまった今日ではその面影もないのは明らか。

先日亡くなった政治評論家や元議員はこの状況をどう考えるか。

それを知りたかっただけに残念だ。

再来週には次の政権が決まる。

期待はしていないが、寄集め政党のような前政権にならないことを強く願うばかりだ。


憧れと現実の差は大して変わりない

今の自分に満足かと聞かれれば必ずしもそうではない。

地位や名誉、容姿端麗、頭脳明晰、巨万の富など様々な点で理想はある。

しかし、理想はあくまでも字のごとくで、現実はそうではない方が世の中の大半だろうか。

憧れを現実にする人は、努力もあると思うが、生まれ持った感性や家柄等々で恵まれている場合が多い。

逆に憧れを抱きながらも挫折、妥協をしてしまう人もいる。

どちらも現実なのだ。

更に言えば、何事も流れに身を任せてしまうことも現実と言える。

憧れをや理想を持ってはいるが、最初からそこまで意識せず、悩み苦しみながらもそこから生きる活力を見出している。

恐らく大半の方はこの部類だろうか。

結局はどう転んだとしてもそれが現実でしかない。

所詮は紙一重なのだろう。

生き方は自身が満足すればそれでいいと私は思うのだが。


政党よりも個人で判断した方が・・・・・。

また第三極の合流が話題になっている。

いい加減にしてもらいたいと思う国民はどのくらいいるのだろうか。

日本は多党制ではあるが、二大政党制の色が強く出ていた。

しかし、二大政党による政治に混乱が多く生じていることに対する疑義が第三極を生み出し、国民も最初はそれを望んだ。

だが、予想に反して一枚岩ではなく、複数の層になっている第三極の結集は脆い。

話題作りや生き残りという面が強く出すぎている。

既存政党にも第三極にも期待は出来ない。

とすれば、我々は何を基準に選挙に投票すればいいのだろうか。

ここは政治家個人で判断した方がいいような気がする。

立候補する以上は、必ず自身の選挙区のことが第一になるはずであり、国際色とか国家色または政党色が強い政治家は目先よりも先の先の権力しか見ていない。

我々の一票は非常に重みのある一票なのだから、本気で考え、投票する義務がある。

それに政治家は答えなければならない。

物思いに更けていたら

気付けば11月、あと1ヶ月少々で2012年が終わる。

何事もあっという間すぎて時々物足りなさを覚えるのは小生だけなのか。

動かない政治について考えても仕方ないし、老人力についてコラムを書こうと執筆しているが、これもまた小生の気まぐれでペンを置いたままになっている。

気まぐれもけして悪くはないのだけれど、気分屋すぎてもいけない。

とにもかくにも色々なことを考えていたらもう年末年始。

終えるものは今年中に終えて、始めるなら来年にしようと今から備える楽しさでも味わいながら年末年始を迎えたいものだ。

とはいえ、あと1ヶ月少々もあるから何かしら待ち受けていることもある。

それを甘んじて受入ることもまた楽しみなのかもしれない。

今日の一言
「暮れに差迫り、些か残忍な事件が増えているように思える。犯人の心のゆとりの無さが悲しいかな。」

事実とは何か?

そろそろ秋といいたいところだが、もう冬みたいなものです。

あれだけ暑いと思っていたのが嘘のようです。

先日、とあるテレビにて知ったのですが、地球は温暖化ではなくて氷河期に入っているとある学者が発表していました。

温暖化の要因はあくまでも人間による生活が影響しているだけで、実際の地球の周期を考えるとちょうど氷河期なんだとか。

意外と我々が知らない事実があるものです。

事実といえば、殺人容疑で指名手配されていた容疑者が潜伏先で病死したことにも驚きました。

繁華街のマンションに女性と同居していて、近くには交番もあったとか。

周辺住民や同居人も容疑者とは知らなかったようです。

年月というものは色々変えてしまうのですかね。

事実はいつどこで変わるかわからないものですよ。

リーダーに相応しい人材とは?

よく経済誌で目にする特集に「リーダーに相応しい人材とは?」というようなものがある。

実際に理想のリーダーとされている方は政財界の大物や若手、著名人が多い。

しかし、実際に様々な業界がある中で本当に彼らはその実力を発揮出来るかといったらそれは未知数でしかない。

誰にでも相応しい職場や立場がある。

それを念頭に入れて考えればその都度、誰がリーダーに相応しいか判断出来るはずだ。

とはいえ、リーダーに求められる事柄は非常に多い。

思考力、実行力、行動力、コミュニケーション力、人徳、判断力、品格と記すだけでこれだけある。

必ずしも全てのリーダーがこの事柄を持っているわけではない。

あくまでもこの事柄の中で特質したもの、秀でたものをもつ人物がリーダーなのだと私は考える。

リーダーだと偉ぶり、色目を使い、空気ばかり読み、愛想を振りまき、人気取りなんかに力を入れているようではいけない。

間逆のことも必要なのだ。

表裏があって社会は成り立つ部分も少なからずある。

これからのリーダーはもっと強くなければならない。

もし弱かったとしても周囲を強い人材で固めればよい。

それすら出来なければ我々は下風に陥ってしまう。

国民は赤子に成り下がってはいけない。

中国の暴動には呆れてしまった。

暴動の最中で発生しているという略奪や破壊を繰り返す行為は非常に許しがたいし、国際社会を名乗っていることじたいが中国の国辱なのではないのだろうか。

確かに歴史を辿れば諸問題はどの諸外国でさえあるもので、今も難航していることだってある。

だが、その問題を蒸し返してばかりでは前にも進めない。

日本はその昔、国際社会の表舞台に立つために戦争を繰り返し、忌まわしい歴史を創った一翼である。

しかし、その一翼を担ってしまったことを長年反省し、今もその贖罪を国家国民がどこかで背負っている。

だが、それを逆手にした外交や政治等の諸問題についての行為は許されるものではない。

人対人のコミュニケーションは最早とれないのだろうか。

あの暴動を見ているとまるで赤子ではないか。

意思疎通が出来ないため、自分の思い通りにしようとする赤子そのものだと私は思う。

その赤子もやがては成長し、立派な成人になるのだから、早く中国も成人として国際社会での在り方を覚え、紳士的に振舞ってもらいたいものだ。

無論、世界中の問題を抱える諸外国に対しても言えることだが。

谷垣さんは自ら毒を飲んだに等しい・・・・・。

自民党総裁選の顔ぶれが決まった。

衆院から安倍晋三元首相(57)、石破茂前政調会長(55)、町村信孝元外相(67)、石原伸晃幹事長(55)、
参院から林芳正政調会長代理(51)の計5名で決まった。

しかし、この中に谷垣禎一総裁(67)は入っていない。

出馬に意欲を示していたのに辞退したのである。

理由は諸説あるが、一番の理由は党の長老議員たちから見放されたことと総裁候補の一本化が出来なかった
ことではないのだろうか。

とはいえ、本来であれば自民党が野党に転落して3年もの間、総裁として政権交代を目指し支えてきたのだから
総理大臣の椅子には座る資格が十分にある。

だが、3年間手堅くやりすぎた感も否めないから党内からはあまり良い声はなかったようで、気付いたら古賀誠元幹事長(72)や森喜朗元首相(75)、青木幹雄元参院会長(78)の党の長老達による谷垣包囲網が出来ていた。

旧来の政治体制に戻ることを逆手にとって出馬することも出来たはずだが、恐らく本人からすれば総裁選で決選投票になった場合に、2位までに残れる自信がなかったのも出馬辞退の要因だろうか。

自論を曲げず、裁判で敗訴・死罪を言われ、自ら毒人参ジュースを飲み絶命した古代ギリシャの哲学者ソクラテスとまでは言わないが、それに等しいと私は思う。

一番の功労者がこのような状態に置かれるというのは何とも解せない話だが、これが政争という方がいれば、もう日本の政治はただの欲得だけのものになってしまう気がしてならない。






相応しい人間が総理になれば良いのでは?

自民党も民主党も「お家騒動」=「代表戦」で揉めている。

しかし、どちらも権力闘争がメインなので正直言って今後の政治を託せることが難しい。

自民党はほぼ確実に政権奪取が見えてきているので、次の総裁が事実上の内閣総理大臣になれる。

一方の民主党は政権を奪われ、野党暮らしに戻る予定なので次の代表は内閣総理大臣になれたとしても、「政権交代をされた宰相」としてのレッテルが付きまとう。

自民党総裁選の立候補予定者を見てみよう。

谷垣禎一総裁、石破茂元防衛相、町村信孝元官房長官、安倍晋三元首相、石原伸晃幹事長、
林芳正政調会長代理の6名。

知名度や政治力を考えると各人共に実力者ばかりだが、その分マイナスイメージも強い。

谷垣は今一つ実力を出し切れていない上、決断力が乏しい上、地味目。

石破は論客で、行動力もあるが、党内での実力が乏しい。

町村は安定しているように思えるが、女房役が一番で、自身がトップになったとしても未知数。

安倍は一度総裁および総理に就任している上、知名度、人気度、論客でもあるが、思ったよりもメンタルが弱い点、側近を重んじてしまうことによって起きた不祥事で入院から辞任という面を国民に見せ付けてしまったことで、本当に一国を任せられるかの不安視が強い。

石原は知名度はあるが、言動による失敗が多い。

林はバランスが取れていて党内や著名人では人気が高いが、国民からすれば今一つ。

どちらも就任すればそれなりに何かはやってくれるだろうが、失敗後の責任の取り方が下手で、また政権交代を招くこともある。

民主党はどうか。

現総理・代表である野田佳彦が再選すれば一番良いのだろうが、反野田の動きがある。

候補としては細野豪志環境相、田中真紀子元外相、山田正彦元農相、原口 一博元総務相等々。

しかしながら、細野、田中は出馬せず、他も燻ぶっている。

確実に政権与党としての維持が可能であればいいのだろうが、その立場も危ういのだから無理も出来ない。


私の主観的には民主党は野田再選が確実だと思う。

本来であれば変えるべきである部分は多々あるだろうが、将来的なことを考えれば致し方ない。

自民党も谷垣再選が一番良いと考えるが、旧来の長老政治体制が見え隠れしている中での再選は厳しい。

かといって新しい顔ぶれだと誰がいいのか。

フレッシュな50代候補が望ましいとは思えない。

それであれば町村が一番良い。

町村(谷垣)→石破→安倍→林という様な形で中期的な政治体制を構築していくべきだと思う。

とはいえ、本音を言えばもっと別に候補もいると思うのだが。


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