マスメディアに疑問を覚えるとき

どうも、最近は特定の内容しか新聞もTVも雑誌も取り上げない。

ネタになることは重々承知しているが、これではまるでマインドコントロールのような感じで気味が悪い。

もし取り上げられるネタが自身もしくは関係者であったと思うと恐怖を覚える。

連帯責任というわけではないが、それなりの社会的、道義的等の責任が発生してしまうことはやむを得ない。

それでも人権が関わる以上はそれなりの保護責任等を行使しなければいけないのだが、どうも最近のマスメディアはそれを等閑にしている。

被疑者であれば容赦なく報道し、被害者であっても何から何まで調べ上げては洗いざらい報道し、状況によっては内容を過大することも可能であるから場合によっては恐ろしい自体になることだって考えられるのに仕事を盾に御構いなしだ。

昔と比べて個人が自分の意思で動くことが出来ない昨今、何かしらのステータスがあって徒党を組むことも出来るし、様々な主張も出来る。

だが、何もかもそうなってしまえばまるでロボットでしかないと考えてしまうのは私だけだろうか。

このままでは自己を無くしてしまうようで怖いし、人権すら皆無だ。

マスメディアももっと世間や世界、巨悪を見ればいいのだが、どうしても身近で誰もが食いつく旬のネタしか取り上げていないのが残念でならない。

嫌な世の中になったものだ。

犯罪により被疑者が得るものとは何か?

先日発生した三鷹の女子高生殺害事件は悲痛だった。

警察に相談していて、被害にあった日も同様のことをしていた中で事件だっただけに親族および警察は悔やんでも悔やみきれない心情だろう。

それにしても、最近は一方的に犯罪行為をする者が増えたように思える。

注目を浴びるためにSNSを利用しての写真投稿による被害から殺人まで幅が広いうえ、どれも悪質。

犯罪を犯したところで満足するものでもあるのだろうか。

心理学的な知識は私には無いが、なんとなく感じ取れるのはその時の感情だけで犯罪を犯しているのではないかと思えてならない。

報道などで警察に対して供述をしている中で謝罪の言葉を述べたりしているが、そのような反省弁をするのであれば最初からしなければいいのではと素人なので私は考えてしまう。

とはいえ、被疑者は犯罪行為をするのだからそこまで追い詰められているのか決め込んでいるのだろうから簡単には防ぐことは難しいのだろうから事件が発生してしまうのだろう。

しかしながら、それはそれで被疑者の一歩的な深層心理なので被害者や第三者からすれば理不尽極まりない。

被疑者が犯罪を犯して得るものは何か。

学術的な見解は出来ないが、少なくとも素人考えからすれば後悔と法による裁き、社会的制裁という具合なものだけは絶対だと思う。

それ以外では何だろうか。

あとは被疑者自身しかわからない。

だが、これ以上このような痛ましい事件が起きないことを切に願いたい。

そのためには人がもっと心を豊かにしなければならないのではないのだろうか。

少なくとも今回の事件でも思い止まることは出来たはずだ。

被疑者も直前まで不安感で一杯だったことがニュースで取り上げられていたし、心理的に犯罪を犯しそうな状況も周囲だって理解出来たはずだ。

全ては可能性というものでしかないが、だからこそ余計に悔やむ。


台風にうんざりする

先月から台風ラッシュが続くなか、また台風が日本列島を直撃すると聞いて、正直なところうんざりしかない。

先月中旬に発生した台風18号は京都や滋賀などに大きな被害をもたらしたのは記憶に新しいところ、その後も台風は続くも日本列島直撃などの大きな影響はあまりなかったようだが、ここにきて今度は台風24号とは。

そろそろ紅葉シーズンにも突入し始めるうえ、農作物の収穫時期にも重なるのだから関係者にとってはたまったものではない。

それに直撃する頃は3連休前であるから余計に困惑する。

自然に発生する気象については致し方ない点はあるが、さすがに頻繁に起こってしまうと辛い。

とある番組で沖縄の古民家に一人で住んでいる女性が台風の影響で辛そうな状況を見た時は「番組の主旨は理解出来るけど、多少は保護しないといけないだろう」という思いに駆られたのがつい最近だったのにまた台風とは。

何事もなく去ってくれるといいのだが。

今日の一言
「今日は推理小説の大家エドガー・アラン・ポーの命日だからミステリーの日だとか。平和だといいのだが」

消費税8%へ

昨日、正式に消費税が8%になることが決まった。

施行は来年4月1日からというが、個人的には中途半端なので再来年に施行予定の10%にしてもよかったのではと思うのだが、どうだろうか。

税が8%になるというのだから、100円商品は108円支払わなければならない。

これでは小銭が多くなって財布は膨れ上がってしまうような気がするからそれなら10%にして110円支払う方が買手側も楽だし、売手側も楽だと思うのだが、そうすると1円玉や5円玉の需要が下がってしまうと思うとなんだか親しんでいたせいが寂しい感じもする。

だから8%に設定したというわけでないが、なんとなく需要と供給という視点からそういう考えを見出してしまった。

とはいえ、アベノミクスの経済成長はスタート時は凄まじいものを感じたが、今は安定している。

一時期1万円を割り込んだ日経平均株価も今では1万4千円前半、成長戦略はこれからも先へ進むのだろうか。

得をしているのは大手企業や投資家ばかり、中小零細企業や低所得者からすれば消費税自体が悪法でもあるようにも考えられるが、日本だけが消費税がある国家ではないことを知れば多少は納得出来るだろう。

欧米諸国は10%台〜20%台が消費税、アジア諸国では5%〜10%台が消費税として国民が納めている。

無論物価の違いはあるが、我々が旅するような主要国の大半は消費税があるのだ。

まぁ、その国々が全て裕福とは限らないが、少なくともまだ日本の方が幾ばくかは安全だろう。

消費税増税により財政再建と社会福祉等の充実が適うかの保障はまだないが、当面は増税によって生活がどう変化するかが争点だろう。

幸福度が増えるか、失業率や貧困率が増えるかはわからないが、まずは様子見だ。

先々よりも目先をもっと考えてもらいたいという気持ちもあるけれど。

今日の一言
「多くのTV番組が週刊誌のようなことをやっている。品格がないし、人と人のやりとりの貧しさを覚える」

思考=施行ではない

よく色々なことを考えてみることが増えた。

増えたといっても大半は自身に対してのルールでしかない。

例えば「今日から1週間で体重を2キロ減らす」とか「この本を1週間で読みきる」とかいうくだらない内容ばかりだが、こういうことを考えるのも日ごろのボケ防止と自身の好奇心や生活力等々の向上につながると私は考えている。

しかしながら、仕事はまた別だ。

考えても考えても上手くいかないことが多いはずだ。

「スケジュールの組立」に「営業のプレゼン」なんて具合に考えるのは誰しもが行うことだろうが、万人が万人納得することはなかなかない。

あったとしても条件付や妥協というおまけ付ということもある。

だが、まだそれでも自身の考えを聞いてくれる、通してくれる人間がいることは救いである。

それすらなかった時、本当に考えることをやめてしまおうかと思ったこともあるだろう。

自身の考えと相手の考えがイコールであること自体があるなどという考えはないが、さすがにそれすら否定されてしまうと自身がやってきたことに対して嫌悪感を覚えてしまう。

全てにおいて完璧な人間がいるわけないことは分かっているし、一定の妥協点も必要ではあるが、自分の意思を崩してまでそれを受け入れてしまうことだけは私はしたくない。

そうせざる時もあることは分かっているが、どうしても自己否定されることは生きていることを否定されるのに等しいとしか思えてならない。

難しく考えすぎなのは理解しているが、一方的な態度を取られてしまうとさすがに精神的に参ってしまう。

そうであれば何事も決められたルールで生きていき、なおかつ考えずただただ無心にしていた方がどれだけ楽か。

とはいえ、「楽」を求めたところで実現などしないのもわかっている。

道なき道を常に進まなければいけないのだ。

しかしながら、近頃はどうも否定ばかりの世の中になってしまったようでならない。

何をしてもまずは批判からでしかなく、正当性があっても聞こうとしない。

人が人で無くなっている、人が人から逃げている、人が何もしなくなっているそんな世の中が今なのだ。

私も全てにおいて例外ではないが、せめて自分の意志だけは捨てないようにしている。

捨ててしまった時、私は思考が無くなり、ただのロボットになりさがるのだけは嫌だから。


突然の宣告

先日の胃カメラ検査の結果が出た。

医師からの診断は以下の通り。

^狃明胃炎
▲悒螢灰丱ター・ピロリ菌(以後、ピロリ菌)の感染
C世里Ε櫂蝓璽廚竜燭
せ號担痢幣豺腓砲茲譴丕揃拭Γ歎心留蠅硫椎柔も)
ヂ世蠅垢

思っていたよりも重いようで、特に「萎縮性胃炎」については発がん性のリスクがあるそうだ。

流れ的には「慢性胃炎→萎縮性胃炎→腸上皮化生→胃癌」なので、私はその数歩手前ということになる。

また、ピロリ菌の感染率が60%程度ということもわかり、こちらも発がん性のリスクがある。

「脂肪肝」については痩せていけば年齢的に完治出来るとのこと。

ポリープについては特に話は無かった。

がん宣告ではないが、衝撃は受けた。

現状ではピロリ菌の死滅にて発がん性リスクはほぼ0%らしいが、毎年の胃カメラ検査は必要だそうだ。

「日ごろの不摂生のつけだ」と周囲に言われれば否定は出来ないが、一応、個人的には気遣いもしていたつもりだった。

しかしながら、昨年春以降より体調が優れず、「睡眠時無呼吸症候群」と「逆流性食道炎」になり、今度は「萎縮性胃炎」と「脂肪肝」である。

「痩せていれば」とか「食生活に気をつけていれば」という周囲の声もある。

だが、個人的には半ば強制的な感じでなおかつ他人事に近い形で言われることがあまり好ましくなく、生来の捻くれ者なのであまり耳を傾けなかった。

それはそれで自分の美学ではないが、意思を尊重しての結果なので今回の件を含めて納得はしている。

とはいえ、ここまで悪化していることだけは正直驚いている。

とにもかくにも痩せることが最重要課題というので、まずは少しずつ始めることにしている。

今回は無理強いでなく、自分の意思である。

私なんかそんなに長く生きなくてもいいという思いもあるが、もう少し生きてみたいという思いもある。

今回は後者を採ってみるつもりだ。

少なくともピロリ菌の死滅と体重の減少が11月にどうなっているのかによってまた色々変わるのだが。


今日の一言
「金沢のジャズフェスティバル、学生から大人まで楽しめる良いイベントだった」






胃カメラ検査をするにあたり

先日来より胃腸の具合が芳しくなく、仕事にもならないので病院に行って問診をしてもらったところ、
「検査」か「投薬」かを選択するように医師から言われ、迷った挙句「検査」を選んだ。

「検査」といっても胃カメラを呑むこととエコーと採血の3つで、さすがに腸は断った。

「逆流性食道炎」の疑いがあるということだが、それ以外にも何かしらあるのではないかと思うと考えただけで怖い。

昨年秋に「無呼吸症候群」を患い、現在も治療中だが、こちらは順調に少しずつ回復しているのだが、今度は胃腸である。

昨年末より少しずつ異変はあったが、市販の薬や食生活で多少のセーブは出来ていたようだが、気温の変化や疲れ、生活スタイルの変化で身体がおかしくなったのだろう。

まぁ、どれも笑い話程度にはしているものの、個人的にはここ数年で確実に心身ともにダメージを受けていることは感じている。

今回もその影響の先送りというか今までのつけというか。

検査の結果がどうなるかはわからないが、向き合うべきときが来た場合は受け入れる覚悟をしなければならない。

今回の件が如何様になるかは神のみぞ知るということだろうか。

今日の一言
「決断力を試す時、そこに人の真価が問われるというが今回は如何に」

7年後の人間関係

2020年の東京オリンピック開催が決まってからというもの、周囲の話題がこればかり。

当然といえば当然なのだが、聞いていると共通することは「7年後」である。

今が2013年なのでオリンピックまであと7年、確かに先々に話になる。

確かに「7年後」は気になるところだ。

一昔前の2000年代を描いている作品で多いものは荒廃している世界か近未来化した世界が多い。

一般人が簡単に宇宙に行けたり、車が空中を飛んだり、建物が細長くなり、移動なんかもタイムマシン的なものがあったりと描いたらきりがない。

しかし、現実を見るとそのようなことが夢物語でしかないと気付かされる。

確かに昭和から平成に入り、すでに25年経過するが技術や生活関係は進化し続けている。

進化し続けてはいるが、人の関係が荒んだように思えてならない。

コミュニケーションがSNSになり簡略化されたこと、考え方が多種多様になったことで亀裂が生じたりしたことで、事件も増加した。

世界が進歩をしていくほど人が荒むというのは嘆かわしいことだ。

7年後、いやその先どのような現実が我々に直面するのだろうかと考えると少し怖い。

先の東京オリンピックは人と人のつながりが強くなるきっかけになった。

今回のオリンピックも人と人のつながりを強化するカンフル剤になってもらいたいものだ。

今日の一言
「秋らしい季節までもう一歩でしょうか。」


オリンピックから考えること

8日の早朝、2020年のオリンピックが東京で開催されることが決定した。

安倍総理以下、猪瀬都知事、竹田JOC会長、各種アスリート選手、応援団、国民の意思がIOCの方々に通じたのだろう。

とはいえ、実際のロビー活動というものは凄まじかったようで、今回競い合ったマドリード、イスタンブールの各国も相当PR活動を展開したようだが、軍配は日本だった。

国民として私はオリンピックが開催されることは心から喜ばしい反面、懸念もある。

以前も書かせて頂いたが、「雇用問題」や「増税問題」などのしわ寄せが国民に悪い意味で押し付けられる可能性、「原発問題」の解決のための進捗、被災地域の「復興」への足かせなどである。

喜ぶべき点は多々あるのだろうが、実際問題として7年後の開催までに会場整備の完了、東京だけでなく日本自体が放射能等の環境や治安からの安全があるのを念頭に入れなければいけない。

また、追加種目としてレスリングが決定したが、正直言って種目の制限をすること事態が私としては合点がいかない。

スカッシュや野球、ソフトボールといった競技だって立派な国際スポーツであり、競技人口だって世界中にいるのだからオリンピックの種目に入れた方がより盛り上がると考える。

かつて古代オリンピックでは芸術を競う競技さえ存在した。

国際的に競い合い、感動を生み出す大会であるからこそオリンピックはアスリートが求める究極であり嗜好のスポーツ大会なのだ。

そう考えると落選したスポーツのアスリートたちの落胆した表情と涙は忘れることが出来ない。

さらに懸念することは今回落選した開催地各国およびスポーツ競技の批判である。

その批判の矛先がどこに向けられるか判らないが、批判よりも感謝をすること、次回開催を目指すことをしてあげるべきだ。

日本だって場合によってはその立場になりかねない。

想定される批判はロビー活動の少なさ、原発問題の政府対応、東京都の対応、国民の開催を望む意思などだろうが、それを全て責任にしてしまったら私は批判者を哀れに思う。

勝利が全てという考えだけでは敗者の気持ちを知ることは出来ない。

どちらも兼ね備えてこそ人だ。

批判無く、楽しく平和なオリンピックが開催されることを期待したい。


鬱病は心の中に潜んでる

つい最近の話だが、突然何もしたくなくなり、急に気落ちしてしまった。

別に仕事で失敗したわけでもなく、仲間と揉めたわけでもない。

ちょっと考え事をしていて突然そんな間隔に陥った。

恥ずかしい話だが、私はあまりメンタルが強くない。

いつもちょっとしたことで考え事をしてしまう。

考えるのは悪くないのだが、ちょっとしたことで落ち込んでしまったりするとすぐにマイナス思考に陥る。

学術的にもそのような事例があると何かで聞いたことがあるが、定かではない。

とはいえ、学術的云々よりもその人自身が何かしら心身面「おかしい」という異変を感じたらちょっと気をつけた方がいいのかもしれない。

意識の変化が何をするにも重要なのだが、考え方一つで物の見方が変わってしまうのだから何事も紙一重なのだろう。

メンタルヘルスが近年注目を集めているが、それだけ社会における精神疾患の方が多いという証拠だ。

今回は詳しくは触れないが、何をするにもまずはストレスを抱え込まないこと、下向きに考えないことが大前提ではないだろうか。

個人差があるのでなかなか難しいのだが、全ては「思考力」や「着眼点」で変わると私は考える。

それを上向きにしていけば多少は楽になるはずだ。

あとは抱え込まないこと、周囲に相談することなども忘れないようにすべきだし、逆に周囲がそれを行わなければならない。

昔のような環境とは違うが、少しでも人間味がある行為こそが今必要なのだ。

我々が前を向き、一歩一歩進む楽しさを今一度考える機会なのかもしれない。

今日の一言
「そろそろ秋の味覚が恋しくなる。秋刀魚、松茸、栗、思い描いただけでよだれが・・・・・失礼」

頼るべき方向性が間違っている

近々の出来事ばかりだが、今、国民が望んでいることは2020年の夏季東京五輪開催だろうか。

9月7日に正式決定する中、日本は最有力候補と言われ、事実、とあるマスメディアの取材では頭差ではあるがトップになっているという。

遡ること1964年、第二次世界大戦後、敗戦国として国家回復を目指して19年で得た五輪は敗戦国から先進国への生まれ変わる布石となった。

五輪で得る「特需」という景気回復のカンフル剤は日本を大いに潤す結果となった

しかし、今考えてみるとそういう「イベント」にのみ景気回復の望みを託している部分が強いのではないか。

1972年の札幌、1998年の長野の冬季五輪開催、2002年のサッカーW杯、1970年の大阪、1985年のつくば、2005年の愛知で開催された国際博覧会などでは地域や国が一体となって誘致・開発・運営等を行い、その都度雇用促進と景気回復への貢献をしたが、過去の栄光は必ずしも続かず、観光地として成功した場所もあれば逆に荒んでしまった場所もある。

「箱物」と言われる公共施設やインフラ整備のための投資は雇用を生むし、各イベントにて販売される物品も売れれば地域・国家を潤わせる富になるのだが、それは本当に一時しのぎでしかない。

今回の東京五輪が決まれば数百億規模のお金が動くと言われているが、そのお金がどのくらいの雇用と富を生み出すのか、そしてその雇用と富はいつまで続くのかなどと考えていてはこの先が思いやられてならない。

また、AKB48でも初期メンバーが卒業し、残ったメンバーがこれからのことを不安視しているなどというマスメディアの報道があったが、活動する中で残ったメンバーがそのようなことばかりを考えているようでは今後の発展は有り得ない。

不安視することが悪いとは言わないが、それが本音である以上、そのメンバーに頼りきっていたということを示すことになる。

残ったメンバーがこれからどのように盛り上げ、グループを築いていくかを考えなければいけないと思う。

シリア情勢の不透明さから欧米列強は国連を通じて軍事加入を考えているようだが、これもまた旧ビルマやイラクやアフガニスタン等々への軍事加入と同様に「力」を持って制裁および統治をすることで治安維持や新国家の建設につながるという間違った発想だと私は考える。

軍事介入をすることが必ずしもその国に対しての「正義」にはならない。

出来るだけ「対話と圧力」という押し問答を続け、その間に諸問題を解決していけば無駄な戦争による犠牲も少ないはずなのだが、どうしても軍事加入が一番解決に早い道筋なのだろうか。

頼るべき方向性を間違えれば必ず間違った方向へ行く。

それを見極めるにはもう少し考え方を柔軟にした方がいいのだが、なかなか難しいものだ。

せめて、人の尊厳を無視するような行為だけは避けてもらいたいものだ。

それが出来なければ方向性云々も決められない。


「なんとなく」から始まるこだわりも良いのでは

最近、料理をしていて思うことは「ズボラ」になったということだろうか。

以前は結構凝った料理も作っていたのだが、「時短」レシピとか惣菜アレンジとか簡単なことで美味しいものが
作れるようになったので、そちらばかりに目を向けていたら「ズボラ」へたどり着いていた。

「ズボラ」が悪いわけでない。

料理だって美味しいし、調理や後片付けが楽なのが利点。

だが、それはそれで物足りないもので。

ある時、ふと思い立ち、自分で一からラーメンスープを作ろうと思ったことがある。

確か何かのTV番組を見ていたはずで、それに感化されたのだろう。

麺は市販の高いものを購入し、具材もそれなりに良いものを用意した。

でも、本格的に調理をするにしても1人暮らしの台所など高が知れているので、一口コンロとオーブントースター
などを駆使して作った。

一番苦労したのはスープの出汁だろうか。

色々考えた挙句、魚介系にし、いざ出汁を取ろうとした時、効率や無難な味を考え、何故かいわしのつみれを
選んでいた。

オーブントースターでつみれを焼き、何度も煮出しては同じようなことを繰り返した記憶がある。

結果的に美味しかったが、何時間もかかり苦労した記憶がある。

今思えば、凝ったことをするにしても素人だと何かしら「時短」や「ズボラ」になってしまうのかなと考えさせられる
きっかけだった。

ただ、「なんとなく」からここまでやれるのだから、私もそうだが人も簡単に考えてこだわりぬくことも何かしらを
する上で、良いきっかけになるのかもしれないと思える。

難しく考えることも良いが、時には気を楽にして考えるのも案外良いのかもしれない。

それを難しく考えてしまっては無意味なのだが。

今日の一言
「軍事行動、恐怖政治で物事が統率出来ると思っていては間違いだと気付けない人は哀れなり」


考え方や発言の怖さ

様々な方と話す機会が増えたが、人の考え方というものほど怖いと思ったことはない。

会話をしている中で、突然勘定をむき出しにする方もいれば無口になってしまう方もいる。

万人が全ての物事になど通じているわけはないのだから発言によって招く諸問題等は当然ではあるのだが、
冗談とかではないものになると理解はしていても困惑してしまうこともある。

私も口下手で思ったことを口に出してしまうこともあるのでわかってはいるのだが、なかなか難しい。

コミュニケーションをする中で会話は重要な位置付けなのだが、全てが正しいとは限らない。

相手のことをよく考えることも必要だし、自身の理論を話すことも重要だ。

とはいえ、様々な状況下における考え方や発言も場合によってはよく使われる「KY(空気よめ)」ということに成りかねない場合もある。

だが、毎回毎回気遣っていてはコミュニケーションなどただの上辺になってしまうのではないのだろうか。

無論、発言をするに当たってはそれなりの考え方や場の空気を見極めることも必要だが、全てが相手の本意だけでは不平等になるだけであり、「本音」というものが出てこなくなる。

難しい話ではあるが、なるべくお互いに冷静沈着になって物事を考え、発言をすべきである。

会話下手や人見知り、無知な部分があったから出来ないというのでは言い訳以前にただの「逃げ」になりかねない。

一歩踏み出すことも必要である。

今日の一言
「夏から秋へ されど残暑の土産はいらぬ 欲しいのは涼しさかそれとも秋の風物詩か」


雨の日の話

先日、仲間と朝までカラオケで盛り上がり、駅で別れて帰宅するために移動したのだが、別の駅でとある異変に気付く。

「雨が降っている」ことだった。

先日来より夕方から明方にかけて雨がよく降っていた。

なんとなく嫌な予感はしていたのだが、案の定降っており、この日に限って折り畳み傘を忘れる始末。

しかし、改札口で合う人合う人の大半が傘を持っている。

「計画的だな」と思っていたが、実は駅に傘専用の自販機があることに気付くと、「みんな一緒か」と安心してしまった。

しかし、乗り換えの駅までは数百メートルしかないからそれだけのために傘を購入するのももったいない。

なので少し歩いたら、雨脚が強くなり、これではたまらないと私もコンビニで傘を買う。

ビニール傘は壊れやすいがその分値段は安価、雨の時ほど売れることはない。

最近では100円ショップでも気軽に買える傘、それが500円だったり1,000円だったりするとちょっと買うのに躊躇する。

だが、濡れて風邪を引いたり体調を崩してお金がかかるなら傘を買って濡れないようにすることがいいのか、他の方々は買っていた。

その私の傘を買うことに躊躇する心が好くないのだろうか、傘を買ってすぐに店を出たら雨が止んでいた。

ちょっとでも安く買おうとしたことを見透かされたようで苦笑いしてしまった。

その後、最寄り駅でまた雨が降ってきたので最終的には重宝する形になったのだが、最初のことを思えばちょっと納得がいかない。

とはいえ、生きているとこうも偶然のようで当然のような出来事が起きると改めて考えさせられた。

世の中の仕組みは意外と合理的になっているのだなと。

無論全ての方々が納得行くようではないのだが、これはこれで面白いのかもしれない。

何事も考え方なのだろう。

今日の一言
「そろそろ秋、猛暑・酷暑はもうたくさん」


成人を過ぎたら年齢制限などは設けない方がよい

年々平均寿命も高年齢化することは喜ばしいが、その一方で少子高齢化が進み、既に高齢社会に片足を踏み込んでしまっているのが現状で、公的でも民間でも高齢対策が追いついているようにはとても思えない。

テレビで見る保険のCMでは高齢者でも加入出来ると謳っているが、実際は一定の年齢までしか入れず、企業の定年者への再雇用についても65まで義務化される中、年金授受の関係などにより身分や給与などの待遇が悪く辞めてしまうケースも多いようだ。

そのためか、技術が必要な業界では若手育成が間に合わない上、再雇用が上手く行かないため技術伝承が出来ていないケースもあると聞いた。

また、晩婚化が進んでいるという中で、「高齢出産」に伴う不妊治療等にも制限が出来ている。
少子という状況下、高齢であれ妊娠・出産を望む方は多いようなのだが、医療関係の補助が足枷になるという。

このまま高齢社会に突入し、現状のままで各種推移すれば国家が無くなってしまう危険性すらある。

対策等については各種様々あると思うが、まずは成人になった段階で設定されている年齢制限を撤廃してしまうのが一番だと私は考える。

雇用や生活にしろ、金が回らなければ企業が成り立たないし、働けなければ生活が成り立たない。

また、医療・福祉についても手厚い保護が必要である。

年金を払っていても貰えなくなる危機すらある中、現状に甘んじていては何もかも崩壊してしまう。

「ゆりかごから墓場まで」という某国の各種手厚い保証があれば別だが、それすら見込めない。

行政もそうだが、企業としても対策を講じなければ先は無い。

若者に対しても高齢者に対しても手厚い保護と自立と共生をさせるためにもっと動いてもらいたいものだ。

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